アーネストとセレスティーヌ

僕は芸術に疎い。
音楽もやらないし、絵も描けない。
頭が良くなりたいとかの願望はあっても芸術は無理だと思う節があるため、音楽や絵が上手い人はただただ尊敬している。
アーネストとセレスティーヌは出会ってはいけない間柄ながら、お互いの芸術性を尊敬し合い、心を通わせていく。
その過程が観ていてとても心地良かった。

『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』が8月22日から順次劇場公開される。
くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ
僕はこの作品を東京アニメーションアワードフェスティバル2014で観た。
フランス映画でアカデミー長編アニメーション賞ノミネート。
ノミネート発表の時のポスターでこれは好きそうだと思い、予告編で確信を持っていた。

熊が人間のように暮らしている世界。
鼠は熊を恐れながら、地中に都市を作って生活していた。
熊のアーネストは一人演奏の大道芸をしていたが貧乏生活を送っていた。
鼠の少女セレスティーヌは、怖さが分からない。熊の恐ろしさを語られてもピンとこなかった。
ある日、アーネストとセレスティーヌは出会う。セレスティーヌの怖いもの知らずな態度のおかげで、アーネストはセレスティーヌを食べずに済む。
しかし、この世界において熊と鼠の出会いは決して許されない。
アーネストとセレスティーヌはお互い逃亡生活を送ることになり…
地上に住む熊と地下に住む鼠。
隔離された2つの世界の交流という、よくあるテーマを落ち着いたアニメーションで描いていく作品だ。

ディズニーのような美しさ、ピクサーのような緻密さはない。
しかし、いつまでも観ていたい心地良さがそこにある。
僕が観たのは2014年春、ちょうどアナ雪フィーバーの頃だった。
曲も映像も圧が強く、カルト的な面も持ったアニメーションが世界を席巻する中で、重さを感じない作品だった。

書き込み過ぎない絵と音楽、それを補うように語られる2人の芸術性。
アーネストとセレスティーヌの友情ができていくにつれて、アニメーション映画としても完成されていく。
映画という枠組みとその中にいるキャラクターが相互補完的にひとつの作品を作っていくようだった。
DVDなら家でいつまでもぼーっと観ていられる心地良い作品だ。
しかし、他の要素を入れず作品を観ることだけしかできない劇場環境で体験するこの心地良さは、なんとも贅沢なひとときだった。

アーネストとセレスティーヌ」への1件のフィードバック

  1. gertie

    「アーネストとセレスティーヌの友情ができていくにつれて、アニメーション映画としても完成されていく」という文章は私が感じていた一つの問題に関する非常に有効なアプローチで、「アニメーションがなぜ完全な現実の模写だけではいけないのか」という本質的な問いかけに応えるものでした。

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