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空想ペルクライム/Les Nankayaru

8/24〜27、中目黒キンケロ・シアターにて『空想ペルクライム/Les Nankayaru』が公演されていました。
http://www.nankayaru.com

僕はふわっとしたお手伝いをしていました。
ふわっとしたお手伝いは公演中が一番暇な時間なので、楽屋のモニターで全公演観ていました。
あとはラジオ「花奈澪のコンフェティ☆シャワー」の生放送が本人の舞台と被るという事態のため急遽代打としてラジオをやったりしていました。
楽屋中継に出ていただいた皆さんありがとうございます。
さらに不思議なことに1公演だけ客席で鑑賞することができました。
正しい解釈などない舞台だと思いますが、感想を残しておきたいと思います。

『空想ペルクライム/Les Nankayaru』は、1部が芝居、2部がレビューショー(生演奏)という、小劇場とは思えない内容の舞台です。
「なんかやる」シリーズとしてはある意味順当な(訳:狂った)進化です。
構成だけでも狂っていますが、細部にも「なんか」やりたいことを詰めまくっていて、やりすぎて客席が引かないか心配になったほどです。

第1部と第2部で内容は全く異なります。
第2部は生演奏のバンドが増えますが、出演者は変わらず、みんなお芝居とレビューショーをします。
その結果、さっきまで高校生だった人がミュージカルをしたりアイドルになったり。
衣装も第1部で制服だけだったものが、第2部では再現度の高い衣装が次々と変わっていき、日常と華やかなレビューのギャップが生まれています。

第1部が「未来から見た過去」であり、第2部は「過去から見た未来」です。
『空想ペルクライム』の物語は、要所要所で出演者が「あの時は〜だった」と過去形で振り返る形式です。
青春時代の7週間を振り返った記憶が『空想ペルクライム』でした。
一方『Les Nankayaru』では、レミゼを演じたりアイドルになったり、目まぐるしく役柄が変わっていきます。
仲間たちがアイドルになったりミュージカルに入ったりしたらという、青春時代の妄想のような世界がステージに広がります。
「Another Day of Sun」で始まり「夢」で終わるステージです。

輝かしい夢を見せられる分、第1部の「日常」が対比されるわけですが、『空想ペルクライム』の「日常」には見ていて明らかな違和感があります。

『空想ペルクライム』は、2つの「死」の間、7週間の物語です。
柏木母の死と、奈蔵の死。
柏木を除くクラスメイトからすると、前者は少し遠い人の死、後者はかなり身近な死。
奈蔵の死は8人の人生においていつまでも残り続けることでしょう。

奈蔵の死で物語は終わりますが、語り部として振り返っている彼らは友人の死を受け入れた上で当時を振り返って語っています。
舞台では描かれない、身近な死を乗り越えたときが確実に存在するわけです。
8人は大きなショックを受けたでしょう。
他のクラスメイトや同じ学年の人たちもショックを受けるでしょうが、8人とは大きさが異なります。
周りから見ると、8人の立場は最初の柏木の立場と同じになってきます。
母の死を受けて自分だけ死と向かい合っていた柏木にとっては、同じ立場の人が一気に増えます。
柏木は、奈蔵の死をみんなで共有し、こんな思いを抱えて生きているのが自分だけではないと気付いたことで、悲しみを分け合える友達ができたのです。
みんな日常生活がそれまでと変わらなくとも、人には見せずとも、そこには「死」が隠れています。
常に笑顔だった影には何があったのか、誕生日のサプライズを受けたらどんな表情をしたのか、どうして死を選んだのか。
考えることはあっても、今更考えたって何も変わらない。
「まあ、今となってはなんでもいいんじゃないですか」
時間が経ってからその頃を振り返る時、楽しかった思い出が強調されて思い出されます。

この物語は特定の誰かの視点で進むわけではありません。
それぞれの人物が同じ過去を振り返ることで、話の軸とは直接関係ない枝葉が伸び、話に揺らぎが生まれます。
文化祭に向けた7週間を振り返るとき、「日常」の中から思い出されるエピソードこそ、事件を経て楽しかった思い出として乗り越えるために必要なものです。
個性豊か、ある意味バラバラな彼らが、あの物語の後にそれぞれ乗り越えたものがあり、それが彼らそれぞれの思い出を作っています。
その差が揺らぎを生み、「空想」らしさを出しているのでしょう。

特定の誰かの視点を強制されないことは、あちこちの世界から出演者が集い、ファンもそれぞれの役者の元から集う「なんかやる」において自然に生まれてくるアプローチです。
それぞれ好きな人の視点で物語を観られ、その人の夢を観られます。
もちろん目当てで来たのとは別の人が主役に見えてしまったり、魅力に気付いたりすることもあるでしょう。
単なる演劇でも単なるライブでもなく、出演者それぞれが「なんかやる」ことで生まれる魅力が、「なんかやる」の醍醐味の一つだと思っています。

ふわっとしたスタッフでしたが、4日間でご来場いただいた方々が「なんかやる」を楽しんでいただけたなら良かったなと思います。
あとはラジオ代打回を聞いても懲りずに来月以降も「花奈澪のコンフェティ☆シャワー」を聞いていただけたらありがたいです。