「ハックルベリー・フィンの冒けん」を読みました。
2017年に出版された柴田元幸さんによる邦訳版で、「冒けん」というタイトルが象徴しているように、ハックの知性レベルで書けそうな漢字を使い、ハックの語りで書かれた本である特徴を日本語で引き出した邦訳になっています。
という話をアトロクの特集で聞いて、そういえばディズニー関連の原作を読んでいた小学生とかの頃「トム・ソーヤの冒険」は読んだけれどハックの方は結局読まずじまいだったなと思い出しました。
柴田さんは、マーク・トウェインはハックに憧れたトム・ソーヤだったと評しています。
ハックは、いかだを最高の家だと言い、いつまでも自由で移動し続けることに憧れるアメリカ人の意識を反映しています。
一方のトムは将来「ロータリークラブの会長になって昔はやんちゃしてたとか語ってそう」な人物です。
ハックへの憧れはマーク・トウェインやトムだけでなく、トムソーヤ島を作ったウォルトも持っていたのではないかと思います。
そんなハックの旅のハイライトが、奴隷のジムをそのまま逃していいのかという葛藤です。
奴隷制が当然だった時代と場所に生まれたハックが、当時の倫理的な正しさと自分の気持ちの中で揺れ動く様を、奴隷制廃止後に描いています。
偶然にも今のタイミングでハックを読んでいると、どうしても現在進行形のアメリカの姿と重なってしまいます。
ハックの決断でハイライトを迎えたと思うと、トムが登場し茶番のような展開を迎えます。
「この作品以前にアメリカ文学とアメリカの作家はいなかった。この作品以降にこれに匹敵する作品は存在しない」と評したヘミングウェイが読む必要ないと言う章です。
トムが前例踏襲を重視し形式に固執する姿はいささか日本っぽさもありますが、「この作品以前にアメリカ文学はない」のですから、トムが参照する前例はヨーロッパ文学です。
トムソーヤ島を作り、アメリカ文化を保存しようとしたウォルトが、その隣にファンタジーランドを置いた感覚に近いものを感じます。
トムソーヤの冒険を具現化し、いつまでも少年のトムっぽかったウォルトが作ったディズニーランドは、やはりアメリカ人の夢なのではなく当時の白人層の夢の具現化なんだろうと思います。