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VIVA LA VALENTINE

サンリオピューロランド初のオンライン演劇『VIVA LA VALENTINE』。
オンライン演劇という新たなスタイルに挑戦した作品です。
ピューロでは既にショーの生配信や配信限定イベントは行われていて、ではオンライン演劇とは何か?が問題になります。
しかも生演劇にするにしても、どうしてもキャラクターボイスは収録になるわけで、生感はどうしても薄れます。
つまり収録の映画と何が違うのか?と思うわけです。
そこで、ビバラバは脚本にメタ要素を入れることで答えを出しています。
つまり「ダニエルが演出を務めるショー『VIVA LA VALENTINE』がオンラインで生配信される世界」を描いた演劇ということです。
以降わかりやすくするため、実際に配信されたものを演劇、劇中劇をショーと呼びます。
ショーはフェアリーランドシアターで公演されますが、演劇はステージの外に飛び出して行われます。
キティたちキャラクターがオフの状態でも一スタッフとして過ごしている世界。
つまりオンステージとバックステージ(概念)を行き来しています。
それをワンカットで紡ぐことによって、メタ構造の演劇化に成功していました。

ピューロは休園時からコロナのある世界としてゲストに寄り添い続けてくれていました。
それはショーの最後でもキティからの「今は会えないけれど」というメッセージとして伝えられています。
キティはこの1年弱、とにかくこのメッセージを発し続け、ピューロに行けないゲストにも寄り添って希望を届け続けてきました。
これはピューロを現地で観ていても明らかで、ショーが徐々に再開されてきた今でも、ダンサーは全員マウスシールドをつけていて、出演者同士もソーシャルディスタンスを保つことは『Hello, New World』の演出に使われるほど当然のことになっています。
キャラクターはこの世界に寄り添うべきなのか

そんな中で演劇中では、誰もマスクをつけず、至近距離で話しています。
キティがコロナを意識したメッセージを発しているメタ物語であるにも関わらずです。
ピューロのショーがどれだけコロナ世界に寄り添ってソーシャルディスタンスを保っていても、それはうわべだけで、バックステージではマスクも密も気にせず過ごしているということなんでしょう。
これまで半年かけて築いてきたピューロのコロナ禍への寄り添い方が台無しです。

メタ視点を持った演劇だからこそピューロへの信頼を毀損しているのは、冒頭からでした。
最終的にどうなるにせよ、ダニエルが演出家のショーはスポンサー意向で変更されました。
それでゲネプロまで通しているわけです。
ピューロはお金次第でキャラクターの思いを捻じ曲げることを厭わない場所なんですね。
スポンサーロゴをもっと大きく中央にという要望は、明らかにゲストの体験価値を損なう内容ですが、それを受け入れようとしている時点で、最後にゲスト第一とか言ったところで説得力はありません。
キティはYouTubeの初回で「仕事を選ばないと言われるけれど、選んだ結果がこれだ」と言っていました。
今回全く選んでないよね。
キティこそ大人の事情に影響されてるよね。
ゲネプロまで行ったなら突然本番だけ内容変えるのはプロのエンターテイナーではないし、シナモンやクロミがそれほどエンターテインメントをおそろかにしているとは思えません。
プリンも自分は変更なかったからとゲネプロに顔を出さず暇しているような意識ではないと思います。
そもそもバレンタインのショーでただキャラクターが自分の好きな曲を踊るだけで最後に突然ダニエルがキティにバレンタインを渡す10分のショーって内容酷すぎるでしょう。
スポンサー意向後もプリンだけそのままってどういう展開だったんだよ。

演劇のメッセージとなるのは、素直さとジェンダーロールで、ジェンダーロールはちょうど話題になったタイミングで神がかった視点だとは思いますが、ピューロの解決の仕方としてこれはおかしいと思います。
スタッフ側の配役こそジェンダーロールそのままだと思いますし、素直さもそれはわがままでは?と思います。
キティの素直さって、うわべの気持ちではなく相手の心まで考えた素直さだと思います。
相手が悪役であっても、相手の本当の気持ちを見つけ出そうとするのがキティなのではないでしょうか。
ミラクルギフトパレードやKAWAII KABUKIで相手の良い面を見出そうとしていた姿はどこに行ったのか。
スポンサーが心の底からバレンタインは女が男にチョコをあげるだけの日だと思っているのか確かめることもしませんでした。
本番中にシアターのすぐ横で大声で話す時点でスポンサーであれショーを届ける者として論外であり、それを普通に描いている時点で本気で演劇を志している人が作っているのか些か疑問ですが、それでも悪役を切り捨てるキティはありえないでしょう。
私が正しい、お前は黙ってショーから私の正義を学べ、という姿勢はキティがとってきた姿勢ではないですよね。
結局スポンサーを切って勝手にショーをやっただけで、大人の世界で見ればバイアス製菓は被害者なだけで何も改善されません。

この演劇自体が「初のオンライン演劇をやりたい」という大人の事情で生まれただけで、とりあえず新しいこと、キャッチーなテーマ、それっぽい展開を入れておけば良いだろうという姿勢に見えました。

ナウシカ歌舞伎

ナウシカ歌舞伎がお正月にBSで放送されていたので、ようやく録画を見ました。

昼夜公演で6時間以上かけて「風の谷のナウシカ」漫画版の全編を歌舞伎化した作品です。
漫画読むのが苦手なので、ナウシカはアニメーション版しか観たことがなく、漫画版はwikipediaレベルの知識しかありません。
歌舞伎は鑑賞教室を何度か観た程度。
KAWAII KABUKIの鑑賞回数の方がずっと多いです。
というわけで、原作も表現方法もいまいち知らない状態だったのですが、話は分かるし面白かったです。
新作歌舞伎は初めてでしたが、口語が聞き取りやすいのが大きいのかな。
収録映像で歌舞伎観るのも初めて。

アニメーション版には登場しない土鬼がテレパシーを用いるため表現がなかなか難しくなりますが、精神世界を表現する上で歌舞伎との相性が良かったのかなと思いました。
戦闘が重要だけれどそこだけが目立つわけにもいかないし、ナウシカ自身が戦う場面も少ないという、歌舞伎でなければ表現が難しかった気がします。
歌舞伎は型が色々あって、既存の物語のこのシーンはこの型に当てはまりそうだなとか思いながら作り上げていったのでしょうか。
型が身に付いている状態で映画や漫画を見ていると、これは歌舞伎で面白そうとか勝手に考えたりするのでしょう。
そんな生活もすごく面白そう。
そう思えるほど、ナウシカのそれぞれのシーンに歌舞伎の表現がマッチしていました。

そして後編オープニングのナウシカの登場がべらぼうにかっこよかったです。