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「 くまのプーさん 」 一覧

“Tales of Friendship with Winnie the Pooh”にSing a long動画

英ディズニージュニアが出していた動画をすっかり見逃していました。
ドイツ版動画は本編まるごと公開していますが、こちらは曲部分。
英語版なのでロバート・ウェッブが担当しています。

また、ディズニージュニアでは作品ごとにJunior部分のロゴが変わりますが、プー版のディズニージュニアロゴも見ることが出来ます。
動きも付いていて非常に可愛い。

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プー権利裁判4回戦はディズニー勝利

くまのプーさん裁判に関して進展が。
Disney controls Winnie the Pooh trademarks, court rules – Los Angeles Times
ディズニーvs原作権利所持者スレンジャー社の裁判でディズニーが勝利。
今回の裁判は、ワシントン連邦巡回区控訴裁判所で行われたもので、米国特許商標庁 商標審判部(Trademark Trial and Appeal Board/TTAB)によるもの。
スレンジャー社による訴えが却下されたという形です。

これでディズニーとスレンジャーは2勝2敗に。
この件に合わせて過去の裁判も取り上げられているのでまとめてみました。

くまのプーさん原作『クマのプーさん』(1926)、『プー横丁にたった家』(1928)の発売後、
1930年スティーブン・スレンジャー社は、原作者ミルンからくまのプーさんに関する北米においての商品化の権利を獲得します。
1961年ディズニーは原作者から映画化権を取得します。
1983年の契約でスレンジャー社は1961年のディズニーによる権利取得を認めます。
この時点で、ディズニーはプーに関する映画化権を持っており、スレンジャー社にライセンス料を払うことで商品化できるという状況になっています。

一回目の裁判
1991年スレンジャー社がディズニー社を訴える
ディズニーの払うライセンス料が少なすぎるという理由。
ここで問題になったのは、ビデオやゲームといった商品もライセンス契約に含まれるのか、ということ。
しかし裁判は本題からずれます。
ディズニーが訴訟関連書類などを秘密裏に処分。さらにそれをスレンジャー側が不正入手。
この結果2004年スレンジャー側の敗訴に。

二回目の裁判
ディズニーがスレンジャー社を訴える
原作者の孫がスレンジャーが持つ権利を放棄するように求めた裁判。
原作者の孫とはクリストファー・ミルンの娘クレア・ミルン。彼女は小児麻痺です。
つまり、原作者の孫を利用して版権を一度原作者に戻し、再度ディズニーが原作者側と契約しようという目論見です。
2006年ディズニー側の敗訴。

三回目の裁判
1991年ディズニーがスレンジャー社を訴える
今度は挿絵画家シェパードの孫が訴えます。
これも裏にはディズニーがいます。こちらはクラシックプーの版権狙いでした。
2007年ディズニー側の敗訴。

というわけで2勝2敗。
訴えた側が敗訴する展開が続いています。

ここで重要なのは、スレンジャー社が持っているのは北米における商品化権であり、ディズニーはライセンス料を払えばそれを使用できるということ。
その条件の中でお互い得をしようと争ったり、その条件を無くそうと争ったりしているのです。

また、今回の件で過去の裁判の様子も出てきました。
こちらの”read it here”リンク先PDFが非常に詳しいです。
Disney’s ‘Winnie-The-Pooh’ Rights Reaffirmed By Appeal Court

日本語ではくまのプーさんの“正統な”続編の話がよく見えないという話 | dpost.jp
wikipediaも割としっかりまとまっています。

とにかくどなたか英語リンク先読んで細かいこと教えてください。。。

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“Tales of Friendship with Winnie the Pooh”ユーキャンで書籍化

くまのプーさん ビーズドールと英語絵本12冊セット 100エーカーの森ライブラリー -ユーキャン 通販ショップ | DVD・CD・本の通信販売
ユーキャンから世界未発売の新作絵本セットが登場。
英語絵本で絵も2011長編以降の絵。
と思ったら、なんと内容が各国ディズニージュニアで放送されはじめた”Tales of Friendship with Winnie the Pooh”でした。
(“Tales of Friendship with Winnie the Pooh”関連記事)
たとえば、第1話は絵本では6巻”A Bounciful Friendship”(飛び跳ねる友情)

第5話は絵本では12巻”A Portrait of Friendship”(友情のポートレート)

このアニメシリーズが発表されたときに絵本を元とした話と出ていましたが、ついにその絵本が出ました。
ビーズドールも付いて29,800円。
表紙も可愛いですし、ビーズドール抜きでもうちょっと安く売って欲しいです・・・

と思ってユーキャンのサイトを見ていたらなんと日本語版もありました。

 1巻 The Sweetest of Friends (最高に優しい友だち)/さいこうにすてきなともだち
2巻 Better than Honey? (はちみつよりもステキなもの?)/はじめてのことをするひ
3巻 Forget Me Knot (「忘れないで」の結び目)/「とくべつなこと」ってなんだっけ?
4巻 Piglet the Brave (勇者ピグレット)/ゆうかんなるピグレット
5巻 Under-the-Weather Friends (体をこわしてしまった友だち)/プーさんかぜをひく
6巻 A Bounciful Friendship (飛び跳ねる友情)/とびはねるともだちはこまりもの?
7巻 Roo’s New Toy (ルーの新しいおもちゃ)/ルーのあたらしいおもちゃ
8巻 Eeyore’s Gloomy Day (イーヨーの憂鬱な日)/イーヨーのへんてこないちにち
9巻 Seeds of Friendship (友情の種)/みんなでたねをまこう!
10巻 Owl’s Reading Lessons (オウルの読書レッスン)/オウルのすてきなたんじょうび
11巻 Hide and Pooh Seek (プーさんのかくれんぼ)
12巻 A Portrait of Friendship (友情のポートレート)/ちいさなえかきさん

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ディズニー版「最終章」は完結していない

以下は先日Twitterに書いた「遊び」から見るプー考察と副産物 – Togetter を元に一部書き直したものです。
また、「魔法の場所」とは何処なのか: 舞浜横丁がこれの前編にあたります。

まず「最終章」とは何か。『プー横丁にたった家』第10章であり、原作プーが完結する章。
クリストファー・ロビンが森を去り、プーたちと別れるシーンが描かれています。
この終わり方の美しさにより、プーはストーリー上続編を作ることが不可能になりました。

ウォルトがプーをアニメ化する際、3つの中篇に分け最後にまとめて長編にするという手法を選びました。
その途中でウォルトはこの世を去りましたが、残された人々は皆、長編化する際にどのシーンを加えなくてはならないか分かっていました。それが「最終章」です。
こうしてディズニー版「最終章」は、原作の「最終章」の根幹となるシーンをまとめたものとして、『完全保存版』の最後に挿入され、ディズニープーは完結したように見えました。

しかしその時点でウォルトの読み通り(実際は読みをはるかに上回るレベルで)プーの人気は大きいものとなっており、ディズニープーは復活を遂げます。
短編やTVで続いたプーシリーズは「最終章」の20年後、ついに長編として帰ってきます。これが『クリストファー・ロビンを探せ!』です。

『クリストファー・ロビンを探せ!』は夏の最後の日、つまり「最終章」の日で始まります。
ここで「最終章」をより軽く語り直したことによって、この一本の長編を通してディズニープーではクリストファー・ロビンを森に戻すことに成功したのです。

しかしいくら「最終章」を軽く語り直したとしても、『完全保存版』の「最終章」の存在は揺るぎません。当然そう簡単に続きを作れる正当性が生まれるものではありません。
ここで注目していただきたいのが、原作版「最終章」とディズニー版「最終章」の違いです。

「最終章」において特に重要な部分は以下の3点。
1.「一番好きなものは何?」「何もしないことをする」
2.「僕が100歳になっても忘れないでいてくれる?」
3.一番最後の一文

では順に比較してみましょう。

 

1.「一番好きなものは何?」「何もしないことをする」
原作版

“What do you like doing best in the world, Pooh?”
(このあといろいろなものについて考える) and so, when he had though it all out, he said, “What I like best in the whole world is Me and Piglet going to see You, and You saying ’What about a little something?’ and Me saying, ‘Well, I shouldn’t mind a little something, should you, Piglet,’ and it being a hummy sort of day outside, and birds singing.”

ディズニー版

“What do you like doing best in the world?”
“What I like best is Me going visit You and You saying, ‘How about a smakerel of honey?’”

尺の都合もありディズニー版では大きくカットされていますが、これでは原作版の持っている100エーカーの森を象徴する文章とはなっていません。

 

2.「僕が100歳になっても忘れないでいてくれる?」
ここでは文章自体はあまり差がありません。
しかし原作版にはこの後にこのような文章が続いています。

“Pooh,” said Christopher Robin earnestly, “If I―if I’m not quite―” he stopped and tried again― “Pooh, whatever happens, you will understand, won’t you?”
“Understand what?”
“Oh, nothing.” He laughed and jumped to his feet. ”Come on!”
“Where?” said, Pooh.
“Anywhere,” said Christopher Robin.

ディズニー版では100歳になっても忘れないでねという友情の物語になりますが、原作版ではその後にクリストファー・ロビンが謎の質問をします。
そしてこの文章は後にクリストファー・ロビン・ミルンによって引用されることとなるのです。
それが、プーの存在によって苦しめられたクリストファー・ミルンによる本『The Enchanted Place』の最後です。

 

3.一番最後の一文

原作版

Wherever they go, and whatever happens to them on the way, in that enchanted place on top of the Forest, a little boy and his Bear will always be playing.

ディズニー版

Wherever they go, and whatever happens to them on the way, in that enchanted place on top of the forest, a little bear will always be waiting.

ほとんど同じ文章ですが、最後の最後が決定的に異なります。
a little boy and his Bear → a little bear
playing → waiting

 

以上の3点が原作版とディズニー版の違うポイントです。
では、これらから見えてくることは何でしょうか。

それが、クリストファー・ロビンが100エーカーの森に戻れるのかどうかという違いです。

原作版ではクリストファー・ロビンは二度と100エーカーの森に戻ることはできません。
「何もしないことをする」ことができるプーと遊べるのは、a little boyである昔のクリストファー・ロビンだけ。
外の世界へと旅立ったクリストファー・ロビンは「何もしない」ことは出来ても、魔法の場所からプーたちのいる100エーカーの森を見ることしか出来ません。
そして、プー側からは外の世界のクリストファー・ロビンは魔法の場所からも見ることが出来ません。
だからこそプーがクリストファー・ロビンのことを忘れないということを確認する必要があり、外の世界でクリストファー・ロビンに何があろうともそれはプーには分からないのです。

一方のディズニー版では、クリストファー・ロビンが100エーカーの森に戻ってこられるように巧く変えられているのです。

まず、プーの一番好きなこと。
原作版では悩んだ末に100エーカーの森を要約したような文章を作り上げますが、ディズニー版ではクリストファー・ロビンの家に行きはちみつを食べると簡単に答えます。
原作版では「何もしないことをする」=100エーカーの森での遊びという構図になっていますが、ディズニー版ではその一部分に過ぎません。
つまり、100エーカーの森全体を総括している原作版に対し、ディズニー版では『完全保存版』での出来事を総括しているのです。

そして、最後の最後。
原作版ではa little boy and his Bear will always be playing.なのにディズニー版ではa little bear will always be waiting.となっています。
このように比べると、ディズニー版がまた戻ってきてねというメッセージになっていることが分かります。
もちろん観客に対してまた観てねという印象にもなりますが、これは森を去ろうとするクリストファー・ロビンにも当てはまります。
原作版ではこのような、戻ってきてねというメッセージはありません。
今後100エーカーの森で何が起ころうとも、外の世界で何が起ころうともそれはお互いに関与しない、完全に区切られた世界になった瞬間がこのシーンです。

クリストファー・ロビンはディズニー版では『完全保存版』の最後で森を去りますが、観客と同様またいつでも森に戻ってくることが出来ます。
永遠「何もしないことをする」ことはもう出来ませんが、100エーカーの森での遊びを見守り手助けするくらいなら出来るのです。

これが『完全保存版』後のプーにおけるクリストファー・ロビンの役割となっています。
ティガームービーでもピグレットムービーでもヘファランプムービーでも2011劇場版でも、クリストファー・ロビンがこの立場で帰ってこれるように巧く作られているのがディズニー版「最終章」だったのです。

原作で話を進める場合、クリストファー・ロビンはその後100エーカーの森に戻ることは出来ませんが、ディズニー版だと見守り手助け程度の役割を担うことができます。
前編の考え方を用いると、原作では子供の遊びと大人の世界が独立しているが、ディズニーでは子供の遊びの延長上に存在しているということになります。

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「魔法の場所」とは何処なのか

以下は先日Twitterに書いた「遊び」から見るプー考察と副産物 – Togetter を元に一部書き直したものです。

きっかけはこのつぶやき。
Twitter/bbneelah

「何もしない」には子どもの「遊び」と関わりがある。「遊び」は「なんでもないこと」を繰り返すこと。「遊び」の定義として、出来たものに対してそれを壊 すことができるかというものがあり、子どもの「遊び」は、かけた時間の労力は目に見える形で残らない(砂場等、作品を残さない)。

ピーターパンも子どもの世界と大人の世界とを区別して描かれてるように、多くの作家が「子どもの世界」「大人の世界」について描いている。子どもとの遊びには「子どもの世界」に入ることが重要であるという話

子供の世界と大人の世界、プーでは当然100エーカーの森が子供の世界で、現実世界が大人の世界になっています。
プーの物語はミルン親子の現実世界での会話から100エーカーの森に入ることで始まります。
この導入があることで、プーは子供だけでなく大人も楽しめる作品となっているのです。
『クマのプーさん』では最初と最後に親子会話が入っています。
『プー横丁にたった家』では”Contradiction”が導入となっています。
では、終わりはどうなっているのか。
物語の最後でクリストファー・ロビンは森を去り、大人の世界へと旅立ちます。
そしてその舞台となっているのが「魔法の場所」(Enchanted Place on top of the forest)。
ここは子供の世界でも大人の世界でもない中間地点です。

「最終章」は100エーカーの森から始まります。
森の仲間たちみんなで決議文(イーヨーの詩)にサインをし、クリストファー・ロビンに渡します。
それを読み終わる時にはその場にいたのはプーだけになり、ここで「一番好きなこと」の会話が行われます。

何もしないことをするという答えが100エーカーの森内で行われているのです。
子供の世界に今別れを告げようとしているクリストファー・ロビンが最後に残した言葉がDo Nothing. 子供の世界に住み続けるプーには当たり前のことにしか思えない言葉でした。

「何もしないことをする」とロビンが言う前にプーが出した答え、これが100エーカーの森でのプーの生活を象徴した言葉なのですが、つまりこれこそが「何もしないこと」なのです。

“What I like best in the whole world is Me and Piglet going to see You, and You saying ’What about a little something?’ and Me saying, ‘Well, I shouldn’t mind a little something, should you, Piglet,’ and it being a hummy sort of day outside, and birds singing.”

同じようなやり取りが『クマのプーさん』の最後でも見ることが出来ます。

“When you wake up in the morning, Pooh,” said Piglet at last, “what’s the first thing you say to yourself?”
“What’s for breakfast?” said Pooh. “What do you say, Piglet?”
“I say, I wonder what’s going to hapen exciting today?”said Piglet.
Pooh nodded thoughtfully.
“It’s the same thing,” he said.

子供の世界での活動=遊びは何も残すことが無い生産性の無い活動です。
それを大人たちは「何もしないでいる」と言いますが、彼らは「何もしないことをしている」のです。
この能動性こそがDo Nothingの本質です。

さて、Do Nothingの会話のあと、二人は「魔法の場所」へと向かいます。
ここでクリストファー・ロビンはプーに学校で習っていることについて話します。
プーは理解が追いつけず夢の状態に陥ります。
ここでクリストファー・ロビンはもう何もしないでいることが出来なくなったと告げます。
ここで僕が100歳になっても忘れないでの約束が行われます。
この先どんなことがあっても許して。
彼らはもう会うことができないのです。
それでもプーは時々一人で「魔法の場所」に来ることを約束し、そして少年と熊はいつでも魔法の場所で遊んでいるのです。

Wherever they go, and whatever happens to them on the way, in that enchanted place on top of the Forest, a little boy and his Bear will always be playing.

「最終章」のあと、プーは子供の世界に戻り、ロビンは大人の世界に住みます。
その中間地点はどちらからも行くことが出来ますが、そこで直接会うことは出来ない。
それが「魔法の場所」の特性です。
今後100エーカーの森で何が起ころうとも、外の世界で何が起ころうともそれはお互いに関与しない、完全に区切られた世界になった瞬間がこのシーンです。

enchanted place ON TOP OF THE FOREST.
大人の世界の人間が100エーカーの森を見る場所、そここそが「魔法の場所」なのです。

後編 ディズニー版「最終章」は完結していない: 舞浜横丁

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