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「 くまのプーさん 」 一覧

プーがエリザベス女王95歳の誕生日を祝う動画を公開

英ディズニー公式がプーの動画を公開。
クラシックプーのスタイルのプーたちがエリザベス女王の誕生日をお祝いしに行く内容です。

プーはこれまでもエリザベス女王90歳ヘンリー王子とメーガン妃の第一子誕生の際にもお祝い動画を公開しています。
特にエリザベス女王90歳の際は「Winnie the Pooh and the Royal Birthday」と題し絵本としても出版されました。

今回は100エーカーの森でクリストファー・ロビンがエリザベス女王95歳のお祝いの幕を飾ります。
それを見たプーが家から大きなはちみつの壺を持ち出し、イーヨー、ピグレット、ティガー、クリストファー・ロビンと共にエリザベス女王に渡しに行きます。
最後にピグレットからプーへの小さなプレゼントもある48秒の動画です。

エリザベス女王の誕生日は4月21日ですが、「女王公式誕生日」は6月第2土曜日に設定されており、今年は6月12日にウィンザー城で規模を縮小して開催されました。
エリザベス女王が生まれた1926年は、「クマのプーさん」発売と同じ年であることから、プーはイギリス王室との関係性を打ち出しています。
今回の動画にも「#WinnieThePooh95th」のハッシュタグがついており、プーも原作出版から今年で95周年。
ピグレットがプーにもお祝いを贈るのはその意味が込められています。

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くまのプーさんをミュージカル化「Winnie the Pooh: The New Musical Adaptation」オフブロードウェイで2021年10月から

Winnie The Pooh – The New Musical Stage Adaptation
Embark on a New Musical Adventure with Winnie the Pooh This Fall – D23
くまのプーさんがオフ・ブロードウェイの舞台でミュージカル化されます。

原作ではなくディズニー版の「くまのプーさん」のミュージカル化で、D23が取り上げるほどしっかりディズニーが主導しています。
プーたちは等身大のパペットで表現される人形劇のスタイル。
手がけるのは、「はらぺこあおむし」や「パディントン」のパペット劇を手がけたJonathan Rockefeller氏。
彼が手がけた「Paddington Gets in a Jam」から人形劇の雰囲気が掴めそうです。

ミュージカルとして、楽曲はシャーマン兄弟のものを使用。
さらにA.A.ミルンによる曲も追加とのこと。
ミルンによる原作では曲はありませんが、プーが頻繁に詩を詠んでいます。
『ピグレットムービー』では、プーの詩を元に音楽をつけた「Sing Ho for the Life of a Bear」「The More it Snows」という曲ががあり、作詞翻案にA.A.ミルンもクレジットされています。
今回もそんな楽曲が追加されるのかもしれません。

シャーマン兄弟の楽曲を使用するなら、使える映画は『くまのプーさん 完全保存版』と『ティガームービー』になり、『ティガームービー』はディズニーオリジナルで原作の詩を入れにくいことからも『くまのプーさん 完全保存版』のストーリーになるのでしょう。
『くまのプーさん 完全保存版』は『プーさんとはちみつ』『プーさんと大あらし』『プーさんとティガー』の3短編によるオムニバスで、そのままミュージカル化できるような一貫したストーリーがありません。
どういう物語に持っていくのか注目です。

併せて公開された予告動画はティザー予告としてミュージカルや舞台の要素は見えません。
出てくるプーは『プーと大人になった僕』のスタイルのぬいぐるみで、舞台のパペットもこのような質感になるのでしょうか。
そして気になるのが、ミュージカルはシャーマン兄弟の楽曲と予告されているのに対して、予告で流れている音楽が「新くまのプーさん」のオープニングなこと。
なんでその曲。

「Winnie the Pooh: The New Musical Adaptation」は半年後、2021年10月21日より上演。
10/14がプーの原作発売記念日で、今年で発売95周年になるので、メモリアルなタイミングになります。
場所はオフ・ブロードウェイのロウ劇場。
チケットは6/1から先行発売、14日から一般発売です。

ブロードウェイでは、9/14から「ライオンキング」や「ハミルトン」、9/28から「アラジン」が約1年半ぶりに再開予定。
一方で「アナと雪の女王」は再開を断念し閉幕しました。
そんな中、このタイミングでプーがしれっと参戦します。
日本からはいつ行けるんだろう…

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「プー棒投げ橋」の危機—クリストファーとディズニーを動かした聖地の歴史 #d_advent


11月16日、イギリスのアッシュダウン・フォレストにある「プー棒投げ橋」の一部が壊れたというニュースが出ました。
英「プーさんの棒投げ橋」一部破損 倒木が直撃 – テレ朝news
原作「クマのプーさん」に関する観光地として最も有名なのが、作中の遊び「プー棒投げ」が行われた橋、「プー棒投げ橋」です。
橋は2021年中に復旧する見込みだそうですが、迅速な復旧が行われるのは、プー棒投げ橋がこれまで何度も陥った存亡の危機と、「クマのプーさん」との関わりから避けていたクリストファー・ミルン、さらにディズニー社までも巻き込んだ歴史の結果があります。

この記事は「ディズニー関連ブログ Advent Calendar 2020」2日目に参加しています。

「プー棒投げ」とは

プー棒投げ(Pooh Sticks)とは、橋の片方から一斉に小枝を川に投げ入れ、橋の反対側から最初に自分の枝が出てきた人の勝ちというゲーム。
「クマのプーさん」で登場した遊びで、ディズニーでは短編『プーさんとイーヨーのいちにち』にて「プーの小枝投げ」として描かれています。

1984年からテムズ川では毎年「世界プー棒投げ選手権」が行われるような人気競技になっています。
そんなプー棒投げ発祥の地が「プー棒投げ橋」です。
プー棒投げ橋はイギリス サセックス州ハートフィールドのアッシュダウン・フォレスト内にあります。
アッシュダウン・フォレストは「クマのプーさん」原作者A.A.ミルンの別荘があった森で、息子のクリストファー・ミルンはテディベアのプーと一緒に広大な森で遊んでいました。
これを元に作られたのが「クマのプーさん」の物語で、アッシュダウン・フォレストはまさに100エーカーの森の元となった場所です。
クリストファーによると、プー棒投げ自体はクリストファーが発明したのが先かミルンが物語上で創作したのが先かは覚えていないものの、実際にプー棒投げで遊んだのは確かだそうです。

ポージングフォード・ブリッジ


「プー棒投げ橋」は元々ポージングフォード・ブリッジという橋でした。
写真は1907年頃、橋が完成した直後に撮られたものです。

1925年、A.A.ミルンは、ポージングフォード・ブリッジの近くにコッチフォード・ファームという別荘を購入。
翌1926年に「クマのプーさん」が出版されます。
1928年に「プー横丁にたった家」でプーの物語に幕を降ろした後も、A.A.ミルンはコッチフォード・ファームを中心に暮らしました。
一方クリストファー・ミルンは第2次世界大戦で出兵し、その頃から父との関係が悪化、1947年以降アッシュダウン・フォレストには戻らなくなります。
A.A.ミルンは1956年に死去。
その後コッチフォード・ファームは、1968年にローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが購入します。
翌年、ブライアン・ジョーンズがプールの底で亡くなっているのが発見されました。

1970年頃にはポージングフォード・ブリッジは老朽化し、馬で渡るのは困難とされるほど一部が崩れかかっていました。
プーの作者や主人公が去ったアッシュダウン・フォレストは大きな転換点を迎えようとしていました。

最初の危機

その頃、イギリスの田舎でもスーパーマーケットの攻勢が強まり、アッシュダウン・フォレストの麓、ハートフィールドの街のお店も潰れていきました。
1978年、陶芸家のマイク・リドリーがハートフィールドに越してきます。
彼の店はクリストファーが幼い頃アイスを買いに来ていた店でした。
さらにその年が「プー横丁にたった家」出版50周年であることに気付いた彼は、お店を改装し「プーコーナー」(「プー横丁」の原語)と名付けます。
突如プーの観光地としての役割を担い出した街に地元住民は困惑します。
観光客が増えたことで、プー棒投げの地であったポージングフォード・ブリッジの老朽化は加速し、いよいよ存亡の危機を迎えます。
これを受け、プー棒投げ橋を救うためのキャンペーンが始まり、様々な寄付を受け、州議会が助成金の拠出を決定。
1979年5月15日、改修されたプー棒投げ橋のセレモニーには、クリストファー・ロビンが招待され、彼は「これは父の想像力の一部です。だれかが橋を愛して、朽ちてしまわないように救ってくれるのを待っていました」と述べました。
30年ぶりにアッシュダウン・フォレストを訪れたクリストファーは、当時プーから逃れたい気持ちは和らいでいたとされるものの、決して乗り気でなかったことがその日の新聞にも残されています。

アッシュダウン・フォレストが油田に?

プー棒投げ橋の改修から8年、今度は橋だけでなくアッシュダウン・フォレスト全体が危機に晒されます。
1987年、ブリティッシュ・ペトロリアム社はアッシュダウン・フォレストでの油田開発を計画しボーリング調査を試みました。
これに対する反対運動が起こりますが、先陣を切ったのがクリストファー・ミルンでした。
クリストファーはあれほど避けてきたプーを利用してでもアッシュダウン・フォレストを守ろうと声を上げます。
州がアッシュダウン・フォレストの権利を買うことで計画は無事に回避されましたが、購入額の約7割はクリストファーの活動で集まった募金で賄われました。

ディズニー社も協力し再建


再建されたプー棒投げ橋(2017年撮影)

地元の人々は、静かなアッシュダウン・フォレストを望むもプーの観光客の増加に悩まされ、しかしプーのおかげで森が守られているという状況に挟まれていました。
プー棒投げ橋は一度は改修されたものの再び老朽化が進行。
1990年代になると老朽化は激しくなり、ついに全面的な建て替えが決定されます。
元の木材を出来る限り使用しながら、初期の姿を再現し建て替える工費は約3万ポンドとされました(当時1ポンド=約200円)。
様々な寄付が集まりますが、当時『ティガームービー』を制作中だったディズニー社にも打診があり、ディズニー社も費用の拠出を決定します。
その額は明らかにされていませんが、工費の1/3、1万ポンドほどを拠出したと言われています。
そして2000年、ついにプー棒投げ橋のリニューアルが完了し、現在の姿となりました。
これに合わせ、地元当局はプー棒投げ橋の管理計画を策定。
住民の暮らしと観光地としての役割を両立させながらプー棒投げ橋を守っていくことを地域行政が担うことになりました。

「プー棒投げ橋」は、豊かな自然を愛する地元住人、クリストファー・ミルン、ディズニーまでもを巻き込み、各々のアイデンティティと折り合いを付けながら、幾度の危機を乗り越えてきました。
その歴史と想いの積み重ねの結果、壊れてもすぐ復旧できる現在の環境が整備されたのです。

参考文献

「クマのプーさん 世界一有名なテディ・ベアのおはなし」シャーリー・ハリソン著,小田島則子訳,河出書房新社,2013年
プーのぬいぐるみを主人公に、彼の歴史を詳細に研究した一冊。

「クマのプーさん スクラップブック」アン・スウェイト著,安達まみ訳,筑摩書房,2000年
A.A.ミルンの最も詳細な伝記「A.A.Milne: His Life」の図録集。

「クマのプーさんと魔法の森」クリストファー・ミルン著,石井桃子訳,岩波書店,1997年
クリストファー・ミルンの自伝。これまで避けてきたプーとの関わりを記すことで、亡き父との精神的な和解を果たしていく。

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クリストファー・ロビン・ミルン生誕100周年 「僕が100歳になっても」の日を迎える

クリストファー・ロビン・ミルンは1920年8月21日にロンドンで生まれました。
今日で生誕100周年です。

クリストファーは1歳の誕生日プレゼントとしてテディベアをもらい、後にウィニー・ザ・プーと名付けました。
「クマのプーさん」の物語と実際のクリストファー・ミルンの生活は一部で重なっており、100エーカーの森はミルン家の別荘があった周りの森であり、クリストファー・ロビンとプーの年齢差が1歳なのもプーが1歳の誕生日プレゼントとして生まれたことを連想させます。

「プー横丁にたった家」の最終章の最後に、クリストファー・ロビンとプーはこんな会話をしています。

「プー、僕のこと忘れないって約束して。僕が100歳になっても。」
プーは少し考えました。
「そうすると僕は何歳?」
「99歳」

クリストファー・ロビンが100歳になり、プーが99歳になり、約束の日がやってきました。
「100エーカーの森」が実際には500エーカーの森であったように、「100」は非常に大きいという概念に過ぎません。
それと同時に、クリストファー・ロビンが100歳になってもこの物語が愛され続けていることは、ミルン親子が想像もしていなかったことであるでしょう。

最終章でプーの物語を完結させた後、クリストファー・ミルンが大人になると、ミルン親子はそれぞれにプーとクリストファー・ロビンという存在から逃れられない人生を送ることになります。
父アランは後にどんな作品を書いても「クリストファー・ロビンが大人になっただけ」と評され、子ども向け作家のレッテルが貼られたまま。
クリストファーはクリストファー・ロビンとしての世間の目に耐えかねられず、親の七光りとの誤解も受けながら父を越えられない境遇に恨みを抱きます。
2人とも自伝を書くことで自分自身を整理し、呪縛から解放されようとしました。

プーの物語は、クリストファーの幼少期の何気ない遊びから生まれました。
それは父アランが自分の少年時代の思い出も重ね合わせながら描いた物語でもあります。
「僕のこと忘れないって約束して。僕が100歳になっても」という台詞は、少年時代の思い出がいつまでも輝き続けることを語ると同時に、忘れたくても忘れられない呪縛となって親子の一生にもたれかかることになるとは想像もしていないことを表しているかのようです。

著者の想像を遥かに超え、クリストファーが100歳になってもプーは愛され続けています。
プーというクマだけでなく、いまだに『クリストファー・ロビン』というタイトルの映画(邦題は『プーと大人になった僕』)が作られるほど、クリストファー・ロビンのことも全く忘れられていません。

クリストファー生誕100周年を迎え、彼の人生と「僕が100歳になっても」の言葉を考えると、彼が「100歳」になったことでクリストファー・ロビンとクリストファー・ミルンが切り離されたように思えます。
プーもクリストファー・ロビンも、さらに100年たっても200年たっても愛され続けることでしょう。
100エーカーの森でのできごとと実際のミルン親子のできごと絶妙に重なりあっていますが、その重なりの揺らぎこそプーの醍醐味であり、クリストファーが生誕100周年を迎えた今、そこに新たな揺らぎが加わったと思います。
それはミルン親子がプーの物語と向き合わざるを得なかった人生の深みが加わったとも言えるでしょう。

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くまのプーさんが持つ3つの誕生日

プーの誕生日はいつなのか?という疑問に対して、3つの答えがあります。
それぞれ根拠とともに紹介します。

8月21日

8/21はクリストファー・ロビン・ミルンの誕生日。
彼のテディベア「ウィニー・ザ・プー」はクリストファー1歳の誕生日にプレゼントされたものです。
原作の最後でクリストファー・ロビンはプーに「僕が100歳になっても忘れないで」と話します。
そこで、クリストファー・ロビンが100歳のときプーが99歳になるという発言があります。
つまりクリストファー・ロビンとプーは1歳差。
クリストファー1歳の誕生日プレゼントとしてプーが生まれたことと整合性が取れます。
そうすると、プーは1921年8月21日生まれということになります。

10月14日

10/14は1926年に原作「クマのプーさん」が出版された日です。
ディズニーでは主にこのをプーの「誕生日」として扱っています。
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社は、日本記念日協会の記念日として10/14を「くまのプーさん原作デビューの日」と制定しています。
「プーさんとゆかいな仲間達が楽しく暮らす100エーカーの森にちなみ、環境・森林保護を考える日」とされています。
8/3「はちみつの日」と並び、ディズニーがプーを盛り上げる記念日として扱われる日です。

2月4日

2/4は1966年にディズニープー最初の作品『プーさんとはちみつ』が公開された日です。
つまり「スクリーンデビュー日」なのですが、ミッキーなどはスクリーンデビュー日を誕生日と称しています。
それに倣いプーも2/4を誕生日とする説です。

プーが持つ3つの誕生日。
個人的には上から順に信憑性が高いと考えており、8/21がプーの誕生日だと思っています。
しかしせっかく3日も誕生日があるのだから全部祝えば良いと思います。
ちなみに、8/3「はちみつの日」、1/19「くまのプーさんの日」(作者A.A.ミルンの誕生日)もあり、年に5日はプーをお祝いできます。

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