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2010年代のディズニー・プリンセス像 「Find Your Happily Ever After」から「Life After Happily Ever After」へ

『白雪姫』から描かれ続けてきたディズニー・プリンセスの物語。
ディズニーはどういうプリンセス像を描いているのか、このサイトでは主に「ちいさなプリンセス ソフィア」と「悪魔バスター★スター・バタフライ」で何度も話題にしてきました。
2010年代のプリンセス像は『モアナ』で一旦の完成を見せ、さらにソフィアとスタバが追加した姿を『アナ雪2』が示しています。
2020年代の物語が始まる前に、プリンセス史を振り返りながら、現在のプリンセスの到達地をみていきたいと思います。
前半はさらっと振り返りますが後半(特にソフィアとスタバ)が長いです。

各章の頭にその章が扱う作品を列挙しています。
その作品についてはネタバレを含みます。

<目次>
1. 初期のディズニー・プリンセス
2. 行動するプリンセス
3. 「プリンセスとは」を問う時代
4. 価値観のアップデート
5. Find Your Happily Ever After
6. ディズニー・チャンネルのプリンセス
7. 長編で「Life After Happily Ever After」を描く

1. 初期のディズニー・プリンセス

白雪姫(1937年)
シンデレラ(1950年)
眠れる森の美女(1959年)

ウォルト時代のアニメーション作品でプリンセスものは3作品です。
どれもディズニーを代表する作品として今でも扱われており、「ディズニーのプリンセスは待っているだけ」と揶揄されるときはこの時代の物語がイメージされているのでしょう。
むしろ結婚観が当時の古いものでも、アニメーションや音楽は現代でも観られるものになっているのがおそろしいです。
その価値観をアップデートするため、現代になり実写版が制作されていくことになります。

2. 行動するプリンセス

リトル・マーメイド(1989年)
美女と野獣(1991年)
アラジン(1992年)

『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』が立て続けに大ヒットし、ディズニーアニメーションは復活を遂げます。
『眠れる森の美女』までとの大きな違いは、プリンセスが自ら行動することにあります。
王子に一目惚れしたアリエルが海と陸の境を越えていくことが象徴的です。
もう一つの変化は、タイトルを見ると分かります。
『リトル・マーメイド』まで、プリンセスの名前や象徴する単語がタイトルになっていますが、『美女と野獣』から相手の「野獣」が名前に加わります。
これまで、平民からプリンセスになったのはシンデレラだけでした。
ところがベルは、家柄もなければプリンセスへの憧れもなく、相手が王子だったから結果的にプリンセスになっただけです。
ベルは非常に行動的な女性ですが、作中で成長するのは野獣がメインです。
そして、ジャスミンは最初から最後までプリンセス。
初めて嫁がないプリンセスです。
タイトルもプリンセス側の名前が外れ『アラジン』。
どぶネズミ扱いのアラジンが王子になる、プリンスストーリーです。
ジャスミンはプリンセスである窮屈さを描いており、プリンセスという立場になることは素晴らしいという価値観を初めて崩しています。

さらに『ポカホンタス』『ムーラン』と、プリンセスとは関係ないヒロインが描かれていきます。
しかしディズニーは彼女たちも「ディズニープリンセス」として括ることになっていきます。

3. 「プリンセスとは」を問う時代

魔法にかけられて(2007年)
プリンセスと魔法のキス(2009年)
塔の上のラプンツェル(2010年)
アナと雪の女王(2013年)

『魔法にかけられて』で伝統的なアニメーションへの回帰路線を打ち出したディズニー。
ジゼルは冒頭で古典的なプリンセスとして2Dアニメーションで描いています。
様々なセルフパロディが込められていますが、立ち位置としては初期の「待っているだけ」が意識されています。
そのアンチテーゼのようにジゼルとナンシーは、「待っているだけ」で出会う相手ではない人を選びます。
過去のディズニー自身へのセルフパロディでありアンチテーゼとなった作品が第3次黄金期前夜に登場したのは象徴的です。

『プリンセスと魔法のキス』では「真実の愛」の定義が問われます。
こちらも典型的なプリンセスであるシャーロットではなく平民のティアナが王子と結婚します。
ティアナは平民からプリンセスになってめでたしめでたしではなく、実際はナヴィーンが平民に降りたような暮らしになります。

ラプンツェルは自らの夢のために行動し、相手も泥棒のフリン。
終盤まで自分がプリンセスであることを知りません。
王子も王女も登場しないストーリーで、平民とプリンセスの対比が出せない中、ラプンツェルはプリンセスらしい人物だと行動で観客に示されていきます。
行動する力、周りを巻き込む力、夢見る力、それらを突き動かすポジティブさをラプンツェル自身の振る舞いで見せて、終盤でそれがプリンセスだと回収しています。

『アナと雪の女王』はアナとエルサのダブルヒロインですが、エルサはレリゴーする人みたいなポジションで、魔法を制御する術を身につけるだけという画期的な結末。
ストーリーを進めているのはアナで、幼い頃から城に閉じ込められ、典型的なプリンセスストーリーを夢見るアナが、それっぽい王子と出会うも、本当の相手は平民のクリストフだと気付く物語です。
アナは近年のプリンセスの姿を詰め込んだような物語を歩みます。
そこに「真実の愛」の相手が恋の相手とは限らず姉妹(家族)だという話が組み合わさっています。
ハッピーエンドですが、エルサこれでハッピーエンドなの?感は残ります。
アナ雪のすごいところは、大ヒットしたおかげで続きの短編が作られ、これの出来が良いおかげでハッピーエンドだったんだ感が強まったところにもあります。

4. 価値観のアップデート

シンデレラ(2015年)
美女と野獣(2017年)
アラジン(2019年)
(実写版)

ディズニーアニメーションが第3次黄金期とも呼ばれる時代になろうとしている頃、ディズニーでは実写映画を推し進めようとしていました。
『アリス・イン・ワンダーランド』『マレフィセント』と、古典作品を新たな視点で描こうとしますが、いまいち当たりません。
そんな中、アニメーションと大筋のストーリーを変えずに実写化してしまったのが『シンデレラ』でした。
作風や設定を大きく改変するのではなく、デザインもストーリーもアニメーションと似たようでいながら価値観を現代にアップデートしたことが画期的でした。
「待っているだけ」と揶揄される時代のプリンセスストーリーを、逆境でも「プリンセスらしさ」を失わない強い女性が行動に合った立場を獲得する物語に描きなおしたのです。
この成功を受け、ディズニーの実写化プロジェクトは路線が固まり、ついにミュージカルアニメーションをそのまま実写化することになります。

超期待プロジェクトと化した『美女と野獣』。
実写になることでカートゥーンチックなシーンを省き、個々のキャラクターを深く描いています。
ベルは行動的で頭の良い女性で、プリンセス像があまり古くないため、ベルが自ら選択し行動するシーンをさらっと加えるだけで、見た目はアニメーションほぼそのままで作り上げています。

一方『アラジン』はアラジンとジャスミン、そしてジーニー3人を通して自由と力を対比しているため、ジャスミンの物語としては弱いものがあります。
実写版ではジャスミンの物語を重点的に補強することで、1人の女性としての現代性を獲得させています。

『ムーラン』も無理やりプリンセスに押し込まれるヒロインとなっており、公開前ですが実写版ではシャン隊長を出さないなど、プリンセスではないヒロイン像を描こうとしています。

5. Find Your Happily Ever After

モアナと伝説の海(2016年)
Happily Ever After(2017年)

モアナは村長の娘で、立場上はプリンセスに当たります。
しかし島を統治する立場ながら、海に選ばれた者として自分の心は広い海を向いています。
このまま島にいては島が廃れてしまうが、海に出るのは危険。
島と海の間で葛藤するモアナですが、家系と海から選ばれた者という、どちらも与えられた立場でしかありません。
マウイとの冒険を通して、モアナは本当の自分の心を知り、新たな時代の村長となる行動を取っていきます。
自分の心を知りそれに従い行動する姿は、これまでのディズニープリンセスが描いてきた姿の集大成のようであり、それが愛と関係する必要がないことを示しました。

モアナが提示した姿は立場上のプリンセスか否かによりません。
ここでディズニーは「Dream Big Princess」というキャンペーンを打ち出します。
「全ての夢見る女の子はプリンセスになれる」というものです。
王家の生まれでなくても、王子と結婚しなくても、全ての夢見る女の子はプリンセスになれるのです。
シンデレラのように王子様と出会って結婚してプリンセスになりたいではなく、シンデレラのような勇気と優しさを持ったプリンセスになりたいという、立場としてのプリンセスではなく人格としてのプリンセスに憧れることになります。
ところで、これは女の子に限った話なのでしょうか?
「プリンセスらしさ」が自分の心に従うことになった今、それは老若男女誰もができることです。

その頃、ウォルト・ディズニー・ワールドではプロジェクションマッピング「Happily Ever After」がスタート。
数々のディズニーの物語が映し出され、「Find Your Happily Ever After」と歌われます。
つまり、これまでのディズニーストーリーのように、あなた自身の物語を見つけようということです。
自分の心に従って、自分の物語を見つけること、そこはプリンセス像が拡張された先の、男女の境がないディズニーストーリーになっていきます。

6. ディズニー・チャンネルのプリンセス

ちいさなプリンセス ソフィア(2012年〜2018年)
悪魔バスター★スター・バタフライ(2015年〜2019年)

『塔の上のラプンツェル』と『ラプンツェルのウェディング』の間を描くアニメーション「ラプンツェル・ザ・シリーズ」では、第1話で「Life After Happily Ever After」という歌が登場します。
「Find Your Happily Ever After」で自分の物語を見つけることで現代のプリンセス像の集大成が見えたような中、そのHappily Ever Afterの後の物語を描こうという動きが出てきます。

「ちいさなプリンセス ソフィア」は、村娘だった女の子ソフィアが母親の再婚で突然プリンセスになり、プリンセス学校で学びながら自分らしいプリンセス「ソフィア1世」(Sofia the First)を目指していくディズニー・チャンネルのアニメーションシリーズ。
ソフィアが突然プリンセスになるのは第1話の冒頭のことです。
古いプリンセス観ではここでめでたしめでたしとなってしまいます。
しかしソフィアは立場上のプリンセスではなく、「プリンセスらしさ」を身につけ、自分らしいプリンセス像を獲得しようとしていきます。
ソフィアの目玉として、ソフィアが窮地に陥ると魔法でシンデレラたち歴代プリンセスが現れソフィアにアドバイスしてくれることがあります。
「Happily Ever After」のように、過去のプリンセスストーリーを参考にしながら、自分だけのプリンセス像を求めていきます。
ソフィアは友情や正直さなどプリンセスらしさを学びながら、「ひみつのとしょしつ」編では物語の守り人として未完の物語に結末を与える役割を始めます。
そんなソフィアは人気を受けて同世界観の作品「アバローのプリンセス エレナ」が制作されることになります。
ソフィアとエレナのクロスオーバーエピソード「エレナとアバローの秘密」は、エレナのオリジンを描く一方、ソフィアにとっても非常に重要なエピソードとなっています。
「ひみつのとしょしつ」で、エレナというプリンセスが魔女との戦いでペンダントに閉じ込められてしまったことを知ったソフィア。
エレナを解放して彼女の物語を与えるため、ソフィアが冒険に出かけるエピソード。
ソフィアから見る「アバローのプリンセス エレナ/エレナとアバローの秘密」|舞浜横丁
ここでソフィアは、空飛ぶ生き物に乗ったり、人魚になって泳いだり、舞踏会でダンスしたり、これまでのエピソードでチャレンジしてきたことを活かしてエレナを救い出します。
これはソフィアにとってプリンセスになるための最終試験であり、これ以降歴代プリンセスが登場することはなくなります。
代わりに、他の知らないプリンセスがピンチになるとソフィアが呼び出されてアドバイスを与えるエピソードが出てきます。
つまり、ソフィアは名実ともにプリンセスになれたのです。
ソフィアが映画ならここで終わりでしょう。
しかしTVシリーズであるソフィアの物語はここでは終わりません。
「ひみつのとしょしつ」編に代わり、「しんぴのしま」編が始まり、ソフィアは魔法の守護者としての活動を始めます。
最終話のラストでソフィアは一人前の守護者となります。
姉のアンバーが次の女王、兄のジェームズは騎士、ソフィアは守護者になることを選びます。
そして最後にソフィアはアンバーに対して「アンバー1世だね」と言います。
「ソフィア1世」を目指したソフィアの物語が、ソフィア自身はドレスではなく守護者の服を着てアンバーに「アンバー1世」の名前をあげて終わります。
プリンセスとして自分のHappily Ever Afterを見つけたソフィアでしたが、彼女のLife After Happily Ever Afterはプリンセスではなく守護者だったのです。
そしてこの最終話のタイトルは「Forever Royal」。
ソフィアは最終話で「プリンセスらしさ」ではなく「ロイヤルさ」と呼んで国を守る行動を取ります。
男の子であるジェームズも含めて、ソフィアたちが選ぶ道は「ロイヤルさ」のある道なのです。
プリンセスは「ロイヤル」に変わる。ソフィア最終話が見せた新境地|舞浜横丁

「悪魔バスター★スター・バタフライ」もディズニー・チャンネルのアニメーションシリーズで、魔法の国ミューニのプリンセスであるスター・バタフライの物語です。
作者が日本好きでセーラームーンの影響を強く受けています。
スターはプリンセスとして魔法のステッキを貰いますが、おてんばで魔法を正しく扱えるようではありません。そこで地球にホームステイさせられます。スターは地球でステッキを狙う悪と戦いながら、特におてんばが直る気配もなくわいわい楽しむ物語です。
でした。
シーズン1はわいわいするだけでしたが、シーズン2からプリンセスとして魔法の練習も始めることになります。
シーズン2の最後でミューニに危機が迫り、スターは急きょミューニに戻ることに。
そこで自分の心と向き合い、大きな魔法を会得したスターは敵を倒します。
これがスターが名実ともにプリンセスになれた瞬間です。
しかしスターも「Life After Happily Ever After」が描かれていきます。
いがみ合っていた人類と怪物の融和を図るなど、自分らしいプリンセス像を進めるスター。
そこに更なる敵が現れますが、なんと彼女こそ本当のプリンセスの血を継ぐもので、スターの家系は途中で取り替えられていたものだと判明します。
さらに女王が行方不明となり、女王代理になったスターは、シーズン3の最後で自ら王位を手放し、本当の女王である相手に託します。
プリンセスらしい行動を取ると立場上のプリンセスを失う、プリンセスのパラドックス状態を発生させた物語。
ここでスターは立場を捨て、自分の心に従う行動としてのプリンセスらしさを取ったのです。
スター・バタフライが見せるこれからのプリンセスの姿|舞浜横丁
最終シーズンであるシーズン4では自分らしい行動を取り続けるスターにさらに敵が現れ、ついにスターは魔法自体を消すことを決意します。
スターは「魔法の国のプリンセス」だったのに、魔法もプリンセスも失ってしまうのです。
さらに愛すらも失う覚悟でスターは自分の心に従った行動を取ります。
立場上のプリンセスらしさより、行動のプリンセスらしさの方が大切なのです。
スターが最初からプリンセスでなければこんな辛い決断をせずに済んだのではと思うほど観ていて辛いシーンでした。
ちなみにスタバでは、男の子がプリンセスになることを当然のこととして描き、プリンセスにおける男女の壁を取り払っています。

TVシリーズは長く続く物語のため、一旦プリンセスストーリーとして完成したような物語のその後まで描かれます。
現代のプリンセスTVシリーズが示したのは、立場上のプリンセスがもはや必要ないということでした。
そして、最後に辿り着くのは最初に目指した場所と異なるかもしれないのです。

7. 長編で「Life After Happily Ever After」を描く

アベンジャーズ/エンドゲーム(2019年)
シュガー・ラッシュ:オンライン(2018年)
トイ・ストーリー4(2019年)
アナと雪の女王2(2019年)

終わりに見えた物語にシリーズによって更なる結末を与えられるのは映画でも起きることです。
マーベル・シネマティック・ユニバースは20作品を超える映画で構成されることで、10年という長い軸で物語が描けます。
単独映画で自分のヒーロー像を見つけたキャラクターが、アベンジャーズシリーズでさらに自分を見つけていくのです。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』では、初期メンバーにそれぞれ単独映画からさらに踏み込んだ結末が与えられます。
最も分かりやすいのがソーでしょう。
アスガルドの王子として生まれ、やがて王になるプリンスストーリーです。
しかしソーは『エンドゲーム』の戦いを通してヴァルキリーに王位を渡して自身は宇宙の旅に出ることを決めます。
トニーもスティーブもブルースも、思っていたヒーロー像と逆の人生を選択します。
自分の心に従って進んでいけば、目指してきた場所と最後に辿り着く場所が異なることがあるのです。
ディズニー・チャンネルのプリンセスとアベンジャーズのヒーローが同じ結末を辿るのは、プリンセスとヒーローの物語に垣根が無いことを象徴しているようです。

『モアナと伝説の海』以降、ディズニーとピクサーでは続編が連発されます。
一旦話が綺麗に閉じた後さらに続編が作られることで「Life After Happily Ever After」が描かれることになります。
『シュガー・ラッシュ:オンライン』では、ヴァネロペが自分の心に従い行動しました。
『トイ・ストーリー4』では、ウッディが自分の心に従いました。
ここで問題になったのが、自分の心に従うなら何を選択しても良いのかということです。
映画ではやはり時間が少なく、続編で前作と違った道を選択すると、前作で観客が気に入っていた結末を否定しかねません。
自分の心に従った道に進むためには、過去や自分の立場をといったこれまでの積み重ねと向き合うことが必要になります。
この向き合いが足りないと、自分の心に従うことが単なるワガママになってしまいます。
それを受け入れる観客と向き合いが足りないと感じる観客で賛否両論が起きてしまいます。

前作と違った道を選択する作品が続く2019年の最後を飾ったのが『アナと雪の女王2』でした。
アナ雪の強みは、前作があまりに大ヒットしたため、全員が観ている前提で話を進められることです。
さらに前作のハッピーエンドはアナのハッピーエンドでごまかしていたため、続編でもエルサの物語はスムーズに進めやすくなっています。
エルサの物語がしっかり完成された一方、前作でなんとなくハッピーエンドを掴んでいたアナの物語が複雑になります。
アナは典型的なヒロインで、とにかく明るくポジティブ。
前作で真実の愛を知り、ついにプロポーズ目前です。
そんなアナが2では怒りの感情を覚え、オラフまで失います。
オラフが消えるということはエルサが死んだことを悟ったアナは孤独を感じますが、ここで歌うのが「The Next Right Thing」です。
アナの人生における全てを失った中で、残された唯一の存在である自分自身と向き合い、自分の心に従って一歩ずつやるべきことをやることを決意する歌。
ここで彼女はアレンデールの女王としての自覚を持ちます。
それが自分が追い求めてきた道と違う方向だとしても、自分の足でその道を歩む決心をして行動します。
この覚悟があったからこそアナはエルサと分かれて暮らし女王になる結末を選択できたのでしょう。

2010年代の前半が「Find Your Happily Ever After」なら、後半は「Life After Happily Ever After」を描いてきた時代でしょう。
そのためには完成された映画に続編を与えることは必要な動きになります。
そして2010年代の最後に『アナと雪の女王2』で「Life After Happily Ever After」を描ききったと思います。
TVシリーズは最先端の価値観を描きやすいですが、これをディズニー長編アニメーションとして残していくことはまた重要なことでしょう。
85年にわたり紡がれてきた「プリンセス像」は、もはや「プリンセス」と呼ぶことがおかしくなってきました。
その未来はどんな物語になっていくのでしょうか。

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カントリーベア・シアターはなぜ熊なのか、あと同じ名前3人いる問題 #カンベアドベント

この記事は「Country Bear Theater Blog Advent Calendar 2019」5日目の記事です。

今年は「ディズニー関連ブログ Advent Calendar 2019」に加えてカンベアドベントのお誘いも受けました。
カンベア愛の強い皆さんに混ざって語るのは恐縮なので、熊の話を2つしようと思います。

カントリーベア・シアターはなぜ熊なのか

ミッキーマウスを筆頭にディズニーは様々な動物を擬人化しています。
しかし熊のキャラクターはそんなに多くありません。
ジャングルブックやブラザーベアは自然界の熊ですし、プーとかダッフィーはぬいぐるみ。
ミッキーマウスクラブとかには熊いますが、擬人化された熊のほとんどがカントリーベアバンドのメンバーということになります。
白い手袋がミッキーたちの擬人化の証と言われることもありますが、熊は手袋をつけることなく、凶暴そうな爪を見せています。
熊は元々2足歩行ができるのでそのままでも擬人化しやすいのですが、彼らは自然界の熊っぽいわけでもなく、表情は分かりやすくなっています。
ヘンリーのおじいさんは1848〜1928年まで80年も生きていますが、熊の寿命は40歳程度が世界記録であり、80年も生きられません。
かなり人間に沿って設定が作られています。

ではカントリーベア・シアターはなぜそんな熊のアトラクションになったのでしょうか。
歴史を辿ってみても、熊はヨーロッパからアメリカ、日本まで幅広い地域に生息し、そこそこ人間と近い距離に住んでいました。
各地域で共通するのは、熊が生身の人間では到底勝てない「強い」存在であること。
『ブラザーベア』で描かれている通り、ネイティブアメリカンには精霊のような存在でした。
ヨーロッパではドイツのベルリンの紋章が熊です。ベルリン国際映画祭は「金熊賞」ですね。
強い存在である熊は、倒すことで自分の強さの象徴とできます。
熊狩りが流行った理由には自分の強さを示せるということがあります。
熊のカーペットも同じような理由ですね。

熊狩りといえば、第26代アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルト。
彼は熊狩り中に弱った熊をマンシップに反するとして撃たず、これが新聞記事となり「テディベア」という名前が生まれたという有名なエピソードがあります。
そんなテディベアを最初に作ったとされるのが、熊が紋章になったベルリンのあるドイツのメーカー「シュタイフ」です。
創業者マルガレーテ・シュタイフは、世界初のぬいぐるみとされる小さな象を作りました。
その後様々な動物のぬいぐるみが発売されますが、20年後の1902年、マルガレーテの甥リチャード・シュタイフが初めてテディベアを作ります(ルーズベルトの件が起きテディベアと名付けられたのは翌年)。
この世界初のテディベアとされるのが「55PB」。
PBとはドイツ語でPlush(フラシ天)Beweglich(可動)ということ。
当時のテディベアの中身はモヘアが主流で硬く自立でき、手足が動く仕組みでした。
ぬいぐるみが柔らかい素材になるのは後年のことで、イーヨーの尻尾が外れた時に釘で付けているのは釘を打ち込めるほど硬く当時の修理法として存在していたからです。
では「55」は何かというと、座高。
最初のテディベアは座高が55cmもあったのです。
でかい。
座高55cmで硬めで手足が動き2足で立たせられる。
最初のテディベアは強そうながら人間のものとして愛せる存在でした。
その後リヒャルトは28PBを考案し、この座高28cmの熊がテディベアブームを巻き起こします。

人間の熊への見方を辿ると、強く圧倒的な存在、倒すことで自分の強さを誇示できる存在、逆に倒さないことで自分の愛情深さを示せる存在となっていったことがわかります。
カンベアに戻ってきましょう。
カントリーベア・シアターは元々ウォルトが作ろうとしていたミネラル・キング・スキーリゾートのアトラクションとして企画されました。
スキー場ですから、ディズニーランドに比べて非常に自然と向き合って遊ぶリゾートになります。
強い自然の象徴である熊を、過度に擬人化しすぎず、楽しいショーを見せてくれる存在としてスキーリゾートに入れるのは、自然と対するリゾートに必要なことだったのかもしれません。
結局スキーリゾートは自然の権利が争われ頓挫し、カントリーベア・シアターはディズニーランドに導入されます。
マジックキングダムのフロンティアランドに導入されたカントリーベア・シアターは東京でも同じウエスタンランドに導入されました。
熊を介して強い自然の象徴と向き合うのは、スキーリゾートで企画された時と現在の西部開拓時代と共通することなのかもしれません。

同じ名前3人いる問題

次の話は、再び登場のセオドア・ルーズベルトから。
先述の通り、テディベアはセオドア・ルーズベルトにちなんで名付けられました。
なぜセオドア・ルーズベルトにちなんでテディベアなのかというと、セオドアの愛称がテディだからです。
カタカナでは一文字も合っていませんが。
Theodore→Teddy。スペル見ても無理がないか…
東京ディズニーシーのテディ・ルーズヴェルト・ラウンジもセオドア・ルーズベルトがテディと呼ばれていたことにちなんでいます。
通称「熊バー」なのもこの逸話があるから。
ではテディの愛称は何かというと、テッド。
Teddy→Ted。これはわかる。
ここでふと思います。
カンベアにテッドいるけれど、テディ・バラと名前同じじゃない?

テディ・バラのスペルはTeddi Berra。
Teddiの名前で調べると、1950年代に活躍したアメリカの歌手Teddi Kingが出てきます。
名前ここから取ったのかな?
彼女は本名がTheodora Kingで、Theodoraの愛称はTeddi、Teddie、Teddyがあります。

実はテディになれる名前がもう一つあります。
それが、エドワード。
エドワード。
Edward→Teddy。さっぱりわからない。
調べても、アメリカ人でも何故かはよくわからない、みたいな答えが出てきました。
とにかくエドワードの愛称はテディなのだそうです。
「クマのプーさん」(原作)の冒頭では「Here is Edward Bear」としてぬいぐるみのプーが紹介されます。
これはエドワード→テディを逆に捉えて、テディベアのことをエドワードベアと呼んでいるわけです。
そして、カントリーベア・シアターのリーダー、ヘンリーは「ヘンリー・エドワード3世」なんだそう。
つまりヘンリー・テディになれるわけですね。
カンベア3人目のテディが登場しました。
オスカーが持っているテディベアも入れちゃえば4体ですよ。
熊のショーとはいえテディだらけ。

ところで、ヘンリーはテディ・バラの恋人。
恋人同士が同じ名前なの?
結婚したらテディ・テディになる可能性もあるの?
アメリカの名前と愛称はよくわかりません。

以上、「Country Bear Theater Blog Advent Calendar 2019」5日目の記事でした。

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TDRイベントショーの暑さ対策

年々暑さが増してきており、ついに屋外エンターテインメントは暑さ対策ありきで設計しないといけない時代に突入しました。
高気温キャンセル(熱キャン)をはじめて聞いた時はそんなキャンセル理由があるのかと驚きましたが、今や夏期の当たり前の光景になってしまいました。
オリンピックどうするの問題もありますが(サマータイムは東京ディズニーリゾートに向いていない|舞浜横丁)、テーマパークのショーも対応を余儀なくされています。

東京ディズニーリゾートでは季節ものはランドがパレード、シーがハーバーショーというのが定番。
パレードは約40分、ハーバーショーは約25分なのでパレードの方が15分も長く、更にショーは途中でキャンセルして帰れるものの、パレードは始めてしまうと最後までやり切るしかありません。
パレードの方が公演が大変ですね。
ショーもパレードも様々な手を打っています。

ディズニー・イースターが始まった時は6月30日まで開催されていました。
これが年々縮小され、2019年のイースターは6月2日までに。
暑さ問題は夏イベントだけでなく、前後のイースターやハロウィーンにも影響を及ぼしています。
イースターの代わりに6月に拡大してきたのは七夕。
七夕グリーティングは小規模なので暑さに強めです。
人力車の人とか徒歩のプリンセスは心配になるけれど。

勝負所の夏、散水ショーが行われ、ショー自体が涼める内容になっています。
レギュラーで公演されるデイパレードや旧デイハーバーショーは夏ダイヤで16:30など夕方にずれています。
子供向けに公演されていたスーパードゥーパーは夏は休止していました。

シーは2017年から「パイレーツ・サマーバトル」を公演。
このポイントは人間しか登場しないことです。
ミッキーたちが夏の屋外に出てくるのは厳しいですね。
とはいえパイレーツでも熱キャンが発生しており、人間が水を撒くショー以上に暑さに強いハーバーショー形式があるのかは疑問です。
パイレーツは2020年に4年目の公演が決定済。
今後は他のネタを見つけられるかが問題になりそうです。

ランドの夏は元々パレードではなくショーを中心に公演してきました。
2012,13年の爽涼鼓舞はキャッスルショーで昼4夜2の計6公演。
昼は参加ダンス部分でゲストを立ち上がらせない高気温版に変える、ショーらしい柔軟な対応を行いました。
2014年からはパレード型の散水ショーで、キャッスルショーの代わりに広範囲のゲストが参加できるスタイルを取っていました。
ところが2018年の記録的な猛暑でまともにショーが公演できず、2019年は根本的に修正。
キャッスルショーを復活させます。
その結果、ドナルドのホット・ジャングル・サマーのイベント要素が夜のオー!サマー・バンザイ!しかないという妙な編成になりました。
昼はイベント無関係にニックとジュディの短めの散水。暑ければニックとジュディがいなくても公演できる内容でした。
メインを夜のキャッスルショーにし、気温が下がってからショーを公演する体制にしました。
ここ6年キャッスルショーはゲストコントロールの観点から無くなっていたものの、それ以上に暑さ対策が重要になったといえます。

以前は9月頭まで散水した頃もありましたが、今は9月になるとすぐハロウィーンが始まります。
夏は暑すぎて対応のしようがない感はありますが、ハロウィーンは暑い時期から寒い時期まで続くため、運用でカバーできる余地が大きいイベントです。
ハーバーショーは2019年からフェスティバル・オブ・ミスティーク変わったものの、特に暑さ対策は見られず。
28℃程度で高気温バージョンになってしまいました。
イベント初期は全公演が高気温というのもざらで、9月中の2公演目もほぼ高気温。
高気温バージョンも単純にフィナーレをカットする方式で、突然終わる感を強く感じます。
高気温バージョンがこんな回数も公演されるなら、最初から高気温を想定したダイジェストのようなバージョンを用意しておくのも手かなと思います。途中変更とか振り付けとか難しいことはありそうですが。

ランドのハロウィーンは毎年パレード。
2018年からスプーキー“Boo!”パレードが始まりましたが、特殊事情が発生中。
ニューファンタジーランド工事のため、トゥモローランドでの停止がなくなっています。
2018年は逆走、プラザとウエスタンランドでの2回停止、ダンサーはプラザから登場。
そして2019年は順行に戻り、プラザで1回だけの停止に。ダンサーは変わらずプラザから登場。
更に、トゥモローランドへの橋の間キャラクターやダンサーが呪われたようにうなだれて歩きます。

ここが暑さ対策のポイントのようです。
まず、ダンサーはプラザから登場するため、単純計算で出演時間が2/3になります。
ショーモードも1回だけなので負担少なめ。
そして、パレードモードに入り、橋の間は踊らない時間になります。
さらに、橋の端にあるベンチには水が置かれています。
ダンサーは踊らず隊列も崩れているため、フラフラしながらベンチまで行くことが可能。

ダンサーがベンチを台にして給水しています。

水のボトルは口をつけずに飲めるタイプ

実際観た日にはアクロバティックなダンサーは給水を多くしていました。
ショー性を出来る限り保ちながら休憩と給水を行える仕組みでした。

新たな選択肢

春夏秋とそれぞれの暑さ対策を振り返ってきましたが、2020年はランドが春夏を「やらない」という新たな手に出ました。
ニューファンタジーランドに全ての力を注ぐのでしょうが、結果的にシーズンイベントの暑さ問題は起こらなくなります。
新たなフォレストシアターは屋内型のため冷房が効き夏でも公演可能です。
突き詰めると完全屋内型のピューロランド最強説にたどり着きそうですが、屋外ショーでも少しずつ対応が進んでいます。
中でも今年のスプーキー“Boo!”パレードはダンサーの負担を下げている点が非常に上手いと思います。
ただ来年はニューファンタジーランドが完成し、3回停止可能な状況になるため、どう運用するのか気になるところ。
シー側は夜のファンタズミック!が3月に終わるため、相対的に昼のショーの重要性が上がります。
途中休憩が許容されるショーが今後は必要になってくる気がしています。

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『トイ・ストーリー4』が投げかける新たな「おもちゃ」の定義

羽生結弦のプーさんは死なない? 早稲田で1番人気の先生が人形の《生きてるみ》について考えた – ライブドアニュース
「人形メディア学講義」の菊地浩平さんが「羽生結弦選手の演技後、スケートリンクに大量に投げ込まれるくまのプーさんは、生きているか死んでいるか? 死ぬとしたらどの瞬間か?」という導入で人形学の記事をライブドアニュースに寄稿しています。
スケートリンクに投げ込まれたプーは死ぬのか?から、箒やこたつに「生きてるみ」を感じるかという話題まで、人が「生きてるみ」を何に感じるのかアンケートを基に論じられています。
「人形メディア学講義」でも述べられていますが、人形とは何かという議題を大きく世間に取り上げているのが『トイ・ストーリー』です。
そして『トイ・ストーリー4』の予告編がこの記事の議題に重なって見えてきます。

本作の新キャラクター「フォーキー」の立ち位置が明らかになった予告編。
フォーキーはボニーが工作として作ったもので、スプーンとモールなどでできています。
ウッディはボニーの1番のお気に入りのおもちゃとしてフォーキーを紹介しますが、フォーキー自身は自分を捨てられる「ゴミ」だと思っており、本来の居場所であるゴミ箱へ逃亡します。

トイ・ストーリーにおける「生きてるみ」

トイ・ストーリーの世界は、おもちゃにも実は命があるという世界。
おもちゃに対するジョン・ラセターの「生きてるみ」を映画にしたのがトイ・ストーリーシリーズです。
先ほどの記事における最初の質問「羽生選手のプーさんはいつ死ぬのか」に対するラセターの答えは既に明らかになっています。
バズはスペースレンジャーで無いことを知り、おもちゃを自覚します。
そのおもちゃに「生きてるみ」を感じた映画では、リンクに投げ込む前、プーがディズニーから離れた場所でもおもちゃとして「生きてるみ」があるということになります。
では「羽生結弦に手渡されたとき」はどうか。
「羽生結弦に渡されるために購入されたプーさんが、その目的を果たした(あるいは果たせなくなった)瞬間」におもちゃは死ぬのか?
持ち主に捨てられて目的が果たせなくなっても、ジェシーやロッツォは生き続けました。それで死ねないからこそ物語に深さが出るのですが。
購入者(ファン)の目的ではなくその時の持ち主(羽生選手)の目的が地元の子供達に遊んでもらうことであり、その目的が果たせればおもちゃは本望だというのがトイ・ストーリーが描いてきたものです。
そして、アンケートで圧倒的マジョリティとなった「プーさんは死なない」派。
トイ・ストーリーにおける死は焼却炉のような物理的な破壊として描かれています。
落ちて粉々になったら死ぬような恐怖も描かれており、死の定義がほぼ人間と変わりません。

おもちゃはいつ生まれるのか

では代わりに生まれる方はどのタイミングなのでしょうか。
死の対義として見ると、おもちゃが製造されたタイミングのようです。
しかし、持ち主の愛情で命を宿すパターンもあります。
ダッフィーになる前のディズニーベアの物語では、ティンカーベルの妖精の粉がテディベアが命を得た理由でした。
さらに、無機物に命を与える世界観では、どこまで与えるのか?という問題が発生します。
先ほどの記事における後半の議論はそこと重なってきます。
「生きてるみ」のあるものが実際に生きている世界観で、銅像も生きているのか?ハリボーも生きているのか?こたつも生きているのか?という問題です。
『トイ・ストーリー4』では、フォーキーを通じておもちゃの「生きてるみ」が議論されるように思えます。
「ゴミ」から作られたフォーキーはどのタイミングでおもちゃとして生きている存在になったのか。
フォーキーが分解されてスプーンとモールに戻ったら死ぬのか?
ボニーがただのスプーンで遊んだ場合スプーンが生きているのか?

万人が「生きてるみ」を感じない「ゴミ」なら生きられないのか?

そして、『トイ・ストーリー4』では外の世界を知ったボー・ピープが登場し、誰か一人に遊ばれることを喜びとするウッディに対し外の世界を見せます。
『トイ・ストーリー3』ではアンディとの別れが最後に来るため、本来の持ち主を離れて遊ばれることの幸せさがウッディの中で検証されていません。
サニーサイド保育園で描かれそうできちんと描かれなかった、他の人に遊ばれるという問題に向き合うことになります。
一方フォーキーはボニーが作ったおもちゃ。
ボニーにとっておもちゃでも他の人にとっては「ゴミ」だった場合、フォーキーをボニーが手放したら彼の存在意義はどこにあるのでしょうか。
フォーキーに「生きてるみ」を感じ、おもちゃとして遊んでくれる子供を見つけるしかないのでしょうか。

人によって違う「生きてるみ」をラセターの視点から一般大衆に提示し共感を得てきたトイ・ストーリーシリーズが、ラセターを失い更に難しい「生きてるみ」の問題を提示しようとしています。

人形メディア学講義|菊地浩平

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colos EXPO: Endgame #d_advent

この記事は「ディズニー関連ブログアドベントカレンダー2018」8日目の記事です。

2018年の思い出といえばやはり「colos EXPO 2018」の開催です。
やり切りました。
長年の夢が叶いました。
もう人生に悔いはありません。

というわけで半年経った今更思い出を語ります。
6/9に開催した「colos EXPO 2018」は300人以上の方にお越しいただきました。
ご参加いただいた方、ご協力いただいた方、本当にありがとうございました。
至らぬ点も多々ありご迷惑をおかけしましたが、無事多くの方に楽しんでいただけて良かったです。

colos会イベントは4年前にLT大会を継いで「園遊会」としてた時から行ってきましたが、colos EXPO 2018はその集大成でした。
colos EXPOのテーマは「すべてのファンをつなぐ究極のファンイベント」。
集大成ということで、4年前から常に意識してきたことを大きく掲げたテーマです。

「すべてのファンをつなぐ」とは、そもそもLT大会自体が次の世代に任せたという形で企画を受け継ぎ始まったこともあり、世代間をつなぐことを重視してきました。
こんな面白いこと考えている人、こんな面白いことしている人がいるということを共有できればいいなと思ってきました。
colos会では自分たちが高校生の頃こんなイベントがあったら全力で参加したであろう内容にしようと話してきました。
上の世代から受けた恩を下の世代に返したいと思いやってきました。
園遊会やcolos EXPOには高校生も来てくれてLTもしてくれてとても嬉しい出来事でした。
colos会はやり切りましたが、その後も様々なファンイベントが行われており楽しんでいます。
園遊会も次の世代に継いでもらっています。
冬の園遊会は明日開催です。キャンセル空きが出ているみたいなので是非お越しください。
夏には「未来テーマパーク会議」にも参加しましたが、新しい時代の勢いを感じました。
これから楽しみにしています。
2年前はディズニー関連ブログアドベントカレンダーも主催しましたが、これも面白いけれど読まれていないブログを読みに来る人が増えればいいなと思いながらやっていました。

「究極のファンイベント」というのは、某23 Expoです。
あのExpoの本分はファンのブース出展で、決して新情報発表会ではないと思っています。
しかし日本にはステージ部分しか来ません。
だったらファンブース部分を自分たちでやろう、というのがcolos EXPOのスタート地点でした。
現在twitterがメインで動いているファンコミュニティですが、短文だけでないファン表現はあるだろうと思っています。
twitterだけでなくブログを作ろうというのは常に言ってきました。
ディズニー関連ブログアドベントカレンダー」もそんな思いでやっています。
これをきっかけにブログを始めたり、久々に書いた人が続けようかなと思ったりしてくれれば嬉しいです。
というこのブログも全然書いていませんが。
twitterではなくブログで書きたいことは多くあります。
同じようにブログでなくLTでしか表現できないものもあります。
園遊会ではLTだけでなく、模造紙企画や休憩中の企画など小ネタも色々やりました。
そしてcolos EXPOでは、展示物販を入れて、今まで表現したことなかった方法を模索してきました。
今年は初めて同人誌も書きました。
最近はLT大会だけでなくピントレ会など様々なイベントが開かれています。
colos EXPO 2018では、そんなファンイベントが全部詰まった「究極のファンイベント」を目指し、とにかく詰め込みました。
ファンコミュニティのオールスターの方々にもご参加いただき、2018年の日本のファンコミュニティの姿が見られるイベントにできたと思います。

話は逸れまして、ファンイベントが大きく広がってきたのはとても楽しいのですが、やはり今年はこのニュース抜きには見られません。
刺殺された岡本さん、「Hagex」の名でブログ|朝日新聞
colos EXPOがあと半月遅ければどう対応しただろうかと考えています。
テロリストは論外としても、ファンではあるがイベント参加には相応しくない行動をしてしまう人は存在します。
もっと成熟している他ジャンルの話を聞いてもクラッシャー対策の最適解は見つかっていないようで、これからは主催でなくてもそんな対策についても考えていきたいです。

すべてのファンをつなぐ究極のファンイベント、やり切りました。
今はもうやり逃した企画もない状態です。
新しいイベントが出たら参加して楽しみたいです。
今は園遊会アドベントカレンダーも下の世代に任せながら自分は参加者として楽しんでいます。
参加しながら自分でもこんなことやりたかったと思うような楽しい企画に出会いたいと思っています。
その時にはまたcolos EXPOのようなことをやるかもしれません。
とりあえず、
みんなブログやろう。

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