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「 くまのプーさん 」 一覧

キングダム ハーツIIIにくまのプーさんワールド登場決定

『キングダム ハーツIII』くまのプーさんをフィーチャーした新トレイラーが公開。『FFXIII』360版のXbox One対応も発表 – ファミ通.com
キングダム ハーツIIIの新予告編が公開。
その名も「Winnie the Pooh Trailer」ということで、キングダムハーツ1,2に続き3でも100エーカーの森の登場が発表されました。

日本語版

「僕はソラといつも一緒がいいな」
「もうプーのここからお出かけしないようにする」
「ふふふ」

予告編では、プーとピグレット、ティガー、ラビット、ルー、そしてゴーファーとランピーも姿を見せています。
100エーカーの森はKH1,2でも戦闘などは無くミニゲームで遊ぶワールドとして登場しています。
KH3では「『パズルボブル』風のギミックのパズルゲーム」が遊べるそうです。
予告編ではラビットの畑で野菜や花を消すゲームの様子が見られます。
さらに予告編1:04からは別ワールドでの戦闘シーンにハチとはちみつを模した武器が登場する様子が伺えます。

キングダム ハーツIII – PS4

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『プーと大人になった僕』興行収入は24.3億円で洋画年間11位に

過去興行収入上位作品 一般社団法人日本映画製作者連盟
2018年9月14日に公開された『プーと大人になった僕』が洋画の年間興行収入ランキングで11位になりました。

1週目

公開規模は全国501スクリーン。
初登場1位を獲得。

初週末2日の動員は24万4758人、興行収入3億3229万円
3連休17日までの公開4日間では、動員44万0921人、興収5億7895万円

2週目

9月22日~23日は1位で2週連続首位。

動員18万4950人、興収2億5642万円
3連休となった24日までの3日間では動員29万0711人、興収3億9237万円
累計動員91万人、興収12億円

初週は20〜30代男性も観にきているということでしたが、さらに幅が広がり、クリストファー・ロビンと同世代の30代から40代の働く男性の来場も増加。

3週目

9月29日~30日は2位
動員11万1000人、興収1億5500万円
累計動員115万人、興収15億円

1位は初登場の『劇場版 夏目友人帳 うつせみに結ぶ』。

4週目

10月6日~7日は2位をキープ
動員10万1000人、興収1億4300万円

1位は初登場の『モンスターストライク THE MOVIE ソラノカナタ』。
先週1位だった『劇場版 夏目友人帳 うつせみに結ぶ』が3位に落ちる中、『プー僕』は2位をキープ。

5週目

10月13日~14日は4位
累計(10月16日まで33日間)動員160万人、興行収入21億円
1〜3位は初登場の作品。

最終的に24.3億円まで伸ばし、『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』を超える成績となりました。
全世界興行収入は$197,744,377。
うち日本が$21,496,669で、1割を占めています。
北米を除くと舞台のイギリスを超えて1位です。

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『プーと大人になった僕』初登場1位獲得

【国内映画ランキング】「プーと大人になった僕」V、「ザ・プレデター」は3位、「響 HIBIKI」6位スタート : 映画ニュース – 映画.com
9月14日についに公開された『プーと大人になった僕』。
9月15日~16日の国内映画ランキング(全国週末興行成績・興行通信社提供)で初登場首位を獲得しました。

公開規模は全国501スクリーン。
初週末2日の動員は24万4758人、興行収入3億3229万円でした。
3連休17日までの公開4日間では、動員44万0921人、興収5億7895万円となりました。

ちなみに2011年版『くまのプーさん』は初日2日間で観客動員数6万6372人、興行収入8216万円の5位だったので、約4倍の動員です。

20代から30代の女性を中心に、カップル、ファミリーを動員。
さらに、夕方からレイトショーにかけては20代から30代の男性も詰めかけているとのこと。
「くまのプーさん」映画とは思えないような大規模公開と幅広い客層を集めています。

ぴあ映画初日満足度ランキング発表!第1位は『プーと大人になった僕』|ぴあ株式会社のプレスリリース
ぴあ映画初日満足度ランキングでも1位、92.2点を獲得しました。

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『プーと大人になった僕』日本語吹替版が良い

9/14日本公開の映画『プーと大人になった僕』。
字幕版に続き、日本語吹替版の試写も観てきました。
映画自体の感想はこちら
ネタバレ感想『プーと大人になった僕』:プーとの思い出が蘇りクリストファー・ロビンとプーの運命に向き合う名作|舞浜横丁

吹替のクオリティは非常に高く、ある重要なシーンでは吹替の演出が原語版より良い効果を出しているといえるほどです。
日本語吹替版の鑑賞もおすすめします。

プー新声優

原語版ではプーとティガーがおなじみジム・カミングスで、他の100エーカーの森のキャラクターは声優が交代しています。
一方の吹替版はプーたちの声優がほぼ続投しており、いつも通りの安心感は非常に強いです。
大きく変わったのは、プーとイーヨーの声優。
ディズニープー吹替版新声優発表 プーかぬか光明、イーヨー石塚勇|舞浜横丁
これまでの声優、プーの亀山助清さんとイーヨーの石田太郎さんは2013年に亡くなっており、それ以来初の新作である今作は新声優を入れなければならない事情がありました。
新イーヨー役は石塚勇さんはこれまでもイーヨーの歌唱部分を吹替ており、新声優とはいえイーヨーの声は既に慣れています。
新プー役はかぬか光明さん。
38歳と大幅な若返りを果たしており、それに伴ってプーの声もちょっと高めな印象。
しかし、新声優だと意識して聞いているからであって、普通に聞いていれば違和感は全くないクオリティ。
すぐにプーの声として定着するでしょうし、若い声優さんなのでこれから何十年もプーの声を作り上げていってくれるものと期待しています。

訳語も巧い

プーは言葉遊びの多い作品です。
英語の言葉遊びに対応した訳を用意し、さらにこれまでのプー作品の訳語も使用しなければなりません。
例えば、プーたちが恐る想像上の怪物「ズオウとヒイタチ」は原語では「Heffalump」と「Woozle」です。
「Heffalump」と「Woozle」を別の単語と言い間違えたとき、その単語を日本語にして一部言い間違えの形にすると「ズオウ」と「ヒイタチ」から離れてしまいます。
このように訳のバランスが非常に難しいのですが、本作の訳語はそこを見事に訳しきっています。
これまでのプーも訳し飛ばし続けてきた「a bear of very little brain」は今回も上手い訳を諦めていましたが。

以降ネタバレ

ここからは具体的に、原語より吹替の方がよかったあるシーンについて。
ネタバレです。

オープニング、本をめくっていく中で、原語版では「Deep in the Hundred Acre Wood」など本の文字として進行がおこなわれます。
そこから実写パートに入り、クリストファー・ロビンが森を離れて成長していくシーンになると、再び本のページをめくる形式で、章のタイトル「In Which…」が文字で話が進められます。
通常このような場合の日本語吹替版は、文字の日本語訳を字幕で表示していきます。
ピクサーの場合は、適当な日本語フォントで全ての英語を置き換えていきます。
それに対し本作ではこの文字をナレーションで吹替ています。
原語版にはいない声優を1人追加しているのです。
ナレーターの声優はこれまでのディズニープーでナレーターを務めてきた青森伸さん。
一言でナレーターさんだと分かる安心の声です。
ナレーターさんが出てくるとは予想していなかったので一言目で驚きました。

本作のオープニングは、これまでの100エーカーの森の物語をぎゅっとまとめて、クリストファー・ロビンの子供時代が何だったかを示す役割があります。
そこにナレーターの声が入ることで「くまのプーさん」の物語がよりはっきりと思い出されます。
さらに、クリストファー・ロビンが森を離れて寄宿学校に通いだす時、ナレーターの声がフェードアウトしていきます。
子供時代を象徴するナレーターの声がフェードアウトしていくことで、クリストファー・ロビンが子供時代から離れていくことが明確になります。
その後は淡々と章のタイトルを読み上げるだけです。
ナレーターの存在と寄宿学校でのフェードアウトは、日本語吹替版が独自に入れた演出。
その効果は非常によく現れていると思います。
プーは日本語吹替版が本当に巧いです。
文字置き換えるだけのピクサーも少しは真似て欲しいくらいです。

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クマのプーさんと戦争

「クマのプーさん」は1926年にA.A.ミルンによって出版されました。
物語に出てくるクリストファー・ロビンは1920年に生まれたA.A.ミルンの息子クリストファー・ロビン・ミルンでした。
2人の人生は2つの戦争によって狂っていき、プーが人気となった背景には戦争がもたらした影がありました。

イギリス黄金時代

A.A.ミルンは1882年にロンドンで生まれました。
後に画家として共に「クマのプーさん」を作るE.H.シェパードもその3年前にすぐ近くの通りで生まれました。
ちょうど1865年に「不思議の国のアリス」、71年には「鏡の国のアリス」が出版された、英国児童文学の黄金時代でした。
ミルンも少年時代を楽しく過ごし、優秀な学生として進学。
ケンブリッジ大学では学生雑誌「グランタ」を編集し、卒業後1906年に「パンチ」誌の副編集長となります。
一方、1904年にJ.M.バリーによる「ピーターパン」が初演を迎えます。
英国児童文学の黄金時代は頂点に達します。
地位と名声を得て社交界にも出入りしていたミルンはバリーとも親しくなり、さらに1913年に結婚。
そんな中イギリスが世界の中心であった輝かしい時代が終わりを告げようとしていました。

第一次世界大戦

輝かしい時代に陰を落とすように第一次世界大戦が勃発。
ミルンは平和主義者でしたが、当時の世論と同様これは「平和のための戦争」だと考え賛成していました。
通信兵となったミルンは戦場に赴き、塹壕線を経験。
負傷し本土に送還されました。
「クマのプーさん」挿絵画家のE.H.シェパードは戦地で兄を亡くしました。
後にミルンは自伝で戦時中の描写を拒み、「戦争という、あの悪魔のような、精神的、かつ道義的陥落については、考えるだけで吐き気がするからである」と述べています。
戦後、再びパンチの編集部に戻ろうとしましたが、そこにミルンの席はありませんでした。
彼は戦時中に軍人のために劇を執筆しており、その経験からバリーの手助けもあり劇作家へと転身します。
ミルンの人生を大きく変えた第一次世界大戦は、イギリスという国の歴史も大きく変えてしまいました。
世界の中心がイギリスからアメリカに移動していきます。

黄金時代の記憶

1920年、息子クリストファー・ロビン・ミルンを授かりました。
息子がテディベアと遊ぶ様子を見ながらミルンは自らの少年時代を懐かしみ、物語を作りました。
1924年〜28年にかけて「プーもの」の4冊の児童文学を発表。
記録的な大ベストセラーとなります。

後にクリストファー・ミルンは、これらの物語は自分が体験したものとは異なる部分が多いと語っています。
プーの物語はクリストファー・ロビンが遊んだものとして描かれていますが、実際には父A.A.ミルンが自らの少年時代を懐古し描いたものです。
第一次世界大戦を経て世界の中心がイギリスから離れつつある世の中で、黄金時代の懐かしさが現れた世界が100エーカーの森です。
戦争による暗い時代を生きる人々に100エーカーの森のノスタルジーが響き、大人にも読まれる児童文学となりました。
英国児童文学の黄金期が築き上げた不思議の世界を懐かしむように、「クマのプーさん」は黄金期の最後のページを刻みました。

ミルンの平和主義

「クマのプーさん」第一話でプーははちみつを取ろうとして風船で空に浮かびます。
プーはクリストファー・ロビンに風船を銃で撃ってもらい地面に降ります。
この挿絵を見てみると、クリストファー・ロビンが持っている銃はおもちゃで、弾には紐がついて銃に繋がっています。
この紐の長さでは空を飛んでいる風船に当たるはずがないのですが、この挿絵にミルンそしてE.H.シェパードの平和主義が現れていると言われています。

平和のための戦争と考えていた第一次世界大戦で経験を経て、ミルンはより平和主義に傾いていました。
再び大戦の足音が迫る中、1934年には「名誉ある平和」という本を出版し、「戦争とは、人間の悪意と愚かさを最大限に表現するものだ」と語り、必死に平和主義を訴えます。
しかしどんなにそれを唱えてもドイツは侵攻を続けてきます。
国際連盟に失望したミルンは「ヒトラー主義に比べれば、戦争の方が小さな悪だと信じる」と、再び戦争賛成に転じました。

第二次世界大戦

その後プーと100エーカーの森で遊ぶ時代を終え寄宿学校に通い出したクリストファー・ミルンは、休暇になると父親とよく遊ぶようになりました。
そしてクリストファーもケンブリッジ大学に進学。
父と同様の道を辿っていました。
そこに現れたのが第二次世界大戦でした。
クリストファーは在学中に出兵。
戦後、復学し1947年に卒業します。

父と同じ道を歩んでいたはずのクリストファーですが、戦争が時代を変えていました。
輝かしい時代に大学を卒業した父とは異なり、第二次世界大戦後に世間に出たクリストファーは作家の道を歩むことに苦労します。
苦労は自分の「クリストファー・ロビン」という有名すぎる名前のせいでもあると考えた彼は、息子を使って富と名声を得た父を恨むようになりました。
父ミルンも晩年は病気で寝たきり状態になり、息子に裏切られたという気持ちが強くなりました。
こうしてミルン親子は絶縁状態となり、そのまま父A.A.ミルンは1956年にこの世を去ります。
父の葬式にふらっと現れたクリストファーを見て母は狼狽したといいます。その後母が死ぬまでクリストファーに会うことはありませんでした。

くまのプーさんの英語名「ウィニー・ザ・プー」の「ウィニー」とは、第一次世界大戦のためにカナダから来た旅団のペットのクマ「ウィニー」から名付けられました。
ウィニーを連れたカナダ旅団がイギリスまで来たところで、戦争は悪化。
フランスへ赴くのにクマを連れて行くわけにはいかなくなり、ウィニーは主人と離れ離れにされ、ロンドン動物園に預けられました。
彼女は戦後ロンドン動物園に正式に寄贈され、ロンドンっ子の癒しの存在となります。
少年クリストファー・ミルンもウィニーがお気に入りで、自らのテディベアも彼女から名前をもらいました。

大人になったクリストファー・ミルンは娘を授かりますが重い小児麻痺でした。
クリストファーは父のように子供が遊ぶ様子を見て100エーカーの森を作り出すということはありませんでした。
しかし娘と向き合う中で自らの少年時代とも向き合い、晩年ついに亡き父と和解し100エーカーの森を受け入れます。

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