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「プー棒投げ橋」の危機—クリストファーとディズニーを動かした聖地の歴史 #d_advent


11月16日、イギリスのアッシュダウン・フォレストにある「プー棒投げ橋」の一部が壊れたというニュースが出ました。
英「プーさんの棒投げ橋」一部破損 倒木が直撃 – テレ朝news
原作「クマのプーさん」に関する観光地として最も有名なのが、作中の遊び「プー棒投げ」が行われた橋、「プー棒投げ橋」です。
橋は2021年中に復旧する見込みだそうですが、迅速な復旧が行われるのは、プー棒投げ橋がこれまで何度も陥った存亡の危機と、「クマのプーさん」との関わりから避けていたクリストファー・ミルン、さらにディズニー社までも巻き込んだ歴史の結果があります。

この記事は「ディズニー関連ブログ Advent Calendar 2020」2日目に参加しています。

「プー棒投げ」とは

プー棒投げ(Pooh Sticks)とは、橋の片方から一斉に小枝を川に投げ入れ、橋の反対側から最初に自分の枝が出てきた人の勝ちというゲーム。
「クマのプーさん」で登場した遊びで、ディズニーでは短編『プーさんとイーヨーのいちにち』にて「プーの小枝投げ」として描かれています。

1984年からテムズ川では毎年「世界プー棒投げ選手権」が行われるような人気競技になっています。
そんなプー棒投げ発祥の地が「プー棒投げ橋」です。
プー棒投げ橋はイギリス サセックス州ハートフィールドのアッシュダウン・フォレスト内にあります。
アッシュダウン・フォレストは「クマのプーさん」原作者A.A.ミルンの別荘があった森で、息子のクリストファー・ミルンはテディベアのプーと一緒に広大な森で遊んでいました。
これを元に作られたのが「クマのプーさん」の物語で、アッシュダウン・フォレストはまさに100エーカーの森の元となった場所です。
クリストファーによると、プー棒投げ自体はクリストファーが発明したのが先かミルンが物語上で創作したのが先かは覚えていないものの、実際にプー棒投げで遊んだのは確かだそうです。

ポージングフォード・ブリッジ


「プー棒投げ橋」は元々ポージングフォード・ブリッジという橋でした。
写真は1907年頃、橋が完成した直後に撮られたものです。

1925年、A.A.ミルンは、ポージングフォード・ブリッジの近くにコッチフォード・ファームという別荘を購入。
翌1926年に「クマのプーさん」が出版されます。
1928年に「プー横丁にたった家」でプーの物語に幕を降ろした後も、A.A.ミルンはコッチフォード・ファームを中心に暮らしました。
一方クリストファー・ミルンは第2次世界大戦で出兵し、その頃から父との関係が悪化、1947年以降アッシュダウン・フォレストには戻らなくなります。
A.A.ミルンは1956年に死去。
その後コッチフォード・ファームは、1968年にローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが購入します。
翌年、ブライアン・ジョーンズがプールの底で亡くなっているのが発見されました。

1970年頃にはポージングフォード・ブリッジは老朽化し、馬で渡るのは困難とされるほど一部が崩れかかっていました。
プーの作者や主人公が去ったアッシュダウン・フォレストは大きな転換点を迎えようとしていました。

最初の危機

その頃、イギリスの田舎でもスーパーマーケットの攻勢が強まり、アッシュダウン・フォレストの麓、ハートフィールドの街のお店も潰れていきました。
1978年、陶芸家のマイク・リドリーがハートフィールドに越してきます。
彼の店はクリストファーが幼い頃アイスを買いに来ていた店でした。
さらにその年が「プー横丁にたった家」出版50周年であることに気付いた彼は、お店を改装し「プーコーナー」(「プー横丁」の原語)と名付けます。
突如プーの観光地としての役割を担い出した街に地元住民は困惑します。
観光客が増えたことで、プー棒投げの地であったポージングフォード・ブリッジの老朽化は加速し、いよいよ存亡の危機を迎えます。
これを受け、プー棒投げ橋を救うためのキャンペーンが始まり、様々な寄付を受け、州議会が助成金の拠出を決定。
1979年5月15日、改修されたプー棒投げ橋のセレモニーには、クリストファー・ロビンが招待され、彼は「これは父の想像力の一部です。だれかが橋を愛して、朽ちてしまわないように救ってくれるのを待っていました」と述べました。
30年ぶりにアッシュダウン・フォレストを訪れたクリストファーは、当時プーから逃れたい気持ちは和らいでいたとされるものの、決して乗り気でなかったことがその日の新聞にも残されています。

アッシュダウン・フォレストが油田に?

プー棒投げ橋の改修から8年、今度は橋だけでなくアッシュダウン・フォレスト全体が危機に晒されます。
1987年、ブリティッシュ・ペトロリアム社はアッシュダウン・フォレストでの油田開発を計画しボーリング調査を試みました。
これに対する反対運動が起こりますが、先陣を切ったのがクリストファー・ミルンでした。
クリストファーはあれほど避けてきたプーを利用してでもアッシュダウン・フォレストを守ろうと声を上げます。
州がアッシュダウン・フォレストの権利を買うことで計画は無事に回避されましたが、購入額の約7割はクリストファーの活動で集まった募金で賄われました。

ディズニー社も協力し再建


再建されたプー棒投げ橋(2017年撮影)

地元の人々は、静かなアッシュダウン・フォレストを望むもプーの観光客の増加に悩まされ、しかしプーのおかげで森が守られているという状況に挟まれていました。
プー棒投げ橋は一度は改修されたものの再び老朽化が進行。
1990年代になると老朽化は激しくなり、ついに全面的な建て替えが決定されます。
元の木材を出来る限り使用しながら、初期の姿を再現し建て替える工費は約3万ポンドとされました(当時1ポンド=約200円)。
様々な寄付が集まりますが、当時『ティガームービー』を制作中だったディズニー社にも打診があり、ディズニー社も費用の拠出を決定します。
その額は明らかにされていませんが、工費の1/3、1万ポンドほどを拠出したと言われています。
そして2000年、ついにプー棒投げ橋のリニューアルが完了し、現在の姿となりました。
これに合わせ、地元当局はプー棒投げ橋の管理計画を策定。
住民の暮らしと観光地としての役割を両立させながらプー棒投げ橋を守っていくことを地域行政が担うことになりました。

「プー棒投げ橋」は、豊かな自然を愛する地元住人、クリストファー・ミルン、ディズニーまでもを巻き込み、各々のアイデンティティと折り合いを付けながら、幾度の危機を乗り越えてきました。
その歴史と想いの積み重ねの結果、壊れてもすぐ復旧できる現在の環境が整備されたのです。

参考文献

「クマのプーさん 世界一有名なテディ・ベアのおはなし」シャーリー・ハリソン著,小田島則子訳,河出書房新社,2013年
プーのぬいぐるみを主人公に、彼の歴史を詳細に研究した一冊。

「クマのプーさん スクラップブック」アン・スウェイト著,安達まみ訳,筑摩書房,2000年
A.A.ミルンの最も詳細な伝記「A.A.Milne: His Life」の図録集。

「クマのプーさんと魔法の森」クリストファー・ミルン著,石井桃子訳,岩波書店,1997年
クリストファー・ミルンの自伝。これまで避けてきたプーとの関わりを記すことで、亡き父との精神的な和解を果たしていく。

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