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 - 駄話  - by poohya

フローズンファンタジー感想

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「アナとエルサのフローズンファンタジー」は2年目にして大きな変貌を遂げました。
とりあえず1年以内にイベントを開催した、ということに尽きていた2015年に対し、ミッキーもミニーもいない5台のフロートで停止型のパレードを行う2015年のフローズンファンタジーは、アナ雪ファン以外も引き付けるイベントになりました。

というわけでイベントの感想から最近アナ雪について思うことまで飛躍してたらたらと。

歴史的大ヒットを記録した『アナと雪の女王』。
実際僕もはじめて映画を観てから永遠サントラでLet it Goを聞き続け、雪だるま作ろうとエンディングの曲で無条件に泣けるようになるほど、映画のカルト性にやられました。

大リニューアルしたフローズンファンタジーパレードは、映画の曲をふんだんに使用し、ショーモードでは今年もがっつりLet it Goを聞かせます。
また、今年はワンス・アポン・ア・タイムのアナ雪シーンが日本語歌になりました。
通常ディズニーパークでは映画は「原作」程度の扱い。
ディズニー映画のキャラクター、ディズニー映画の曲ではなく、グリーティングのキャラクター、ショーの曲というように認識されています。
それに対してフローズンファンタジーでは誰もがアナ雪を観賞し、少なくとも曲を知っているという前提が構築されています。
ワンス・アポン・ア・タイムのI See the Lightは英語なのにLet it Goは日本語になりました。
それほど、『アナと雪の女王』のヒットは特異なものです。

そして、今年のフローズンファンタジーにおける大きな変化点、それがスノーギースです。
フォトロケーションやパレードなど様々な場所に登場するスノーギースは『アナと雪の女王/エルサのサプライズ』に登場したキャラクターたち。
昨年のイベント時には存在しなかったキャラクターです。
『エルサのサプライズ』が描くのは、映画本編の後日談。
エルサは心を開き、魔法を使いこなせるようになって、アナの誕生日を祝おうと頑張りすぎます。
フローズンファンタジーも昨年の時点で映画の後の世界をテーマにしており、『エルサのサプライズ』との親和性は元々高かったといえます。
クリスタルパレス・レストランの誕生日会コンセプトなどはうまいですね。
映画の後の世界をそのままパークで用いることができるのは、『アナと雪の女王』が他にない「魔法を失わないで終わる」映画だからだといえます。
エンディングで最初と同じ状態に戻っただけで、幼少期の事故がなければ何も変わらず成長していたでしょう。
パークでは『美女と野獣』はエンディングとは異なる「魔法にかかったまま」の状態ですし、アリエルも人魚です。
映画の後のキャラクターが映画途中の姿で登場する、厳密には矛盾したキャラクターがパークには多くいます。
その特殊性こそが『アナと雪の女王』の「本当に何も起こらない」っぷりです。
本編も続編も、結局は何も起こりません。

『エルサのサプライズ』もまたMaking Today A Perfect Dayという一曲で全編押し通す短編。
なぜスノーギースが生まれるのかといった説明は一切なく、とにかく明るい曲を歌いながら勢いで突っ走ります。
両親死んでから誰が国を治めていたのかとか、アナに帝王学を一切教育しなかったこととか、挙げればきりのない矛盾点などは物語のスピードや雰囲気の前には犠牲となります。
『アナと雪の女王』の未公開シーンを見ていると、子供時代のエルサの部屋をアナが訪れる、といったシーンがぎりぎりまで入っていたことがわかります。
そんなシーン入れていいわけがないと思うのですが、入れたかったようです。
正直、監督の才能や緻密な会議の功績ではなく、「運が良かったから」このような名作になったのではないかと思っています。
エルサは元々ヴィランズとして制作されていましたが、Let it Goを聞いた制作陣によりヒロインに変更されました。
Let it Goというディズニー史にのこる一曲によって映画は形作られ、その勢いで映画を仕上げてしまう。
合議制のディズニーがカルト性のある映画を作れるのはものすごいことですし、それは結局は鶴の一声でまとめてしまうラセターの「現代のウォルト」と呼ばれる部分があるのでしょう。
『エルサのサプライズ』然り、このチームは曲の勢いでアニメーション映画を仕上げるという、新しい手法にたどりついたのだと思います。

それが良いのかと言われると個人的には微妙で。
それでも大ヒットしたので、Let it Goの本当の意味は云々、ダブルヒロインが云々、女性監督が云々といった表面の考察で溢れかえりました。
細部が詰められていないので、深く考察しようとしても過去の映画や原作と比較するしかありません。
過去の映画といっても歴代プリンセスに対してアナとエルサは…という話ばかりですが。
ちなみに、WDJはアナとエルサはプリンセスではないとの見解を示しています。
D23 Expo Japan 2015見る限りプリンセスで括っていたけれど。ほんとあの企業はわからない。
それはさておき、『アナと雪の女王』は造形もカットも独特なもので、とにかくアナとエルサ2人を主役に、Let it Goをハイライトにするよう作られています。
この的を絞る作り方が今後も続くのかは非常に気になるところです。
もう一つ、原作との比較はディズニーを批判するお決まりの「ディズニー化」問題に帰着します。
これを強引に正当化したのが『ウォルト・ディズニーの約束』です。
原作派からの批判はウォルトを悩ませる問題でもありました。
しかし『プーさんとはちみつ』に対する批判の大きなものに、「ピグレットがアメリカ地リスに変わった」というものがあります。
これはプーを3分割したために1作目でピグレットが登場せず、ゴーファーがその代わりだと解釈されたせいです。
こういう様子を見ると、悩みながらもやっぱり扱い方は下手だよな…とは思います。
『ウォルト・ディズニーの約束』 「かわいそうなA.A.ミルン」の意味と真実|舞浜横丁
全方位に受ける作品ばかりではどうしても浅いものになってしまい。
そこを打破するのがピクサーの担当なのかな、と思います。
合議制とはいえ監督の個性がまだ強く残っているのがピクサーです。
という点では二転三転した『アーロと少年』は心配。
『インサイド・ヘッド』も軌道修正、『CoCo』もいまいち進まない状態で、もっとクリエイターの個性が光っても良いのかなと思うこの頃です。
宮﨑駿が引退し、高畑勲も『かぐや姫の物語』を終え、個性のある大規模長編アニメーションがなくなってきました。
悪役が「悪役です!!!」と登場するようなお話とか、入口と出口がとてつもなく離れているお話とか、もっと色々な表現技法で色々な物語を描いてほしいなと思います。
…とりあえずは短編(TVシリーズ)に期待するしかないのかなあ…

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