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 - 映画  - by poohya

『アーロと少年』が凡作な理由とそれでも劇場で観ておきたい理由

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映画『アーロと少年』(原題:The Good Dinosaur)がようやく日本で公開されました。
本国では『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が盛り上がり、日本では既に『ズートピア』に話題を持っていかれているというなんとも不遇な作品ですが、内容もなかなか不遇でした。
映画やピクサー展に関連していろいろ調べていたらなんとなくこの作品の特徴が分かってきたので書きたいと思います。
ネタバレはありません。

普通の感想はこちら。
ネタバレ感想:映画『アーロと少年』を観た

監督降板して延期された作品

元々『アーロと少年』はボブ・ピーターソンの企画。
しかしストーリーが複雑になっていき、修復困難だと判断されたために監督を降板。
新たにピーター・ソーンを監督としました。
その影響で公開が延期され、2014年は何も公開されないという事態に。
上海ディズニーランド、キングダムハーツ3と並び、本当に完成するのかわからないトップ3と言われていたとかいないとか。
新監督のピーター・ソーンは短編『晴れときどきくもり』の監督。
『カールじいさんの空飛ぶ家』監督のピーターソンから併映短編監督のピーター・ソーンに変わったのでした。
ややこしい。
ちなみにカールじいさんに出てくるラッセルの顔のモデルがピーター・ソーンです。

ピクサー映画の軸

ピクサー映画において何より大切なのはストーリーです。
そしてそのストーリーは合議制。
会議で話し合ってストーリーが決まります。
が、ラセターという車オタクが『カーズ』を作ったように、その軸となるのは監督の個人的な思い入れ。
監督が企画を出して、メッセージも既にある程度は入った状態で企画が動きます。
ストーリーが誰もが楽しめるものでありながら、観客の胸を打つ強さを持っているのは、監督の思い入れとストーリー会議があるからです。

都会っ子が描こうとした雄大な自然

で、『アーロと少年』で問題になるのは監督の降板。
ストーリーがほぼ刷新されることになり、ピーター・ソーンは自身で軸を打ち出さなくてはなりません。
ピーター・ソーンはニューヨーク出身。
『アーロと少年』のような自然を体験したことがなく、アメリカ北西部の視察旅行に連れていかれます。
そこで乗馬やラフティングを経験するわけですが、そのきつさに怖気づいたそうです。
ラッセルとは違って都会のインドア系らしい。
『アーロと少年』の舞台に思い入れがありません。
そこでピーター・ソーンはストーリー合議制に委ねます。
みんながもっと気軽に意見を言える環境を作り、より誰もが楽しめるストーリーになっていきました。
その結果、ピクサーらしい要素がたくさん散りばめられたストーリーが完成しました。
様々なピクサー作品のエッセンスを薄口で全部混ぜたようなストーリー。
そこに強い軸を感じることはありませんでした。

でも自然は雄大

監督降板によりストーリーがやり直しになったため、ストーリー作りの時間はプロジェクト全体の時間からして非常に短くなっています。
ピクサーでは、ストーリー、キャラクター、世界観とそれを補う技術力が映画を構成しています。
キャラクターや世界観はある程度ボブ・ピーターソン監督時代に作られていました。
おかげで居る必要があるのか分からないキャラクターまで登場します。
(まさか『インサイド・ヘッド』で出しちゃったから今作でも出すとかいう理由じゃないよね?)
キャラクターと世界観はあったために、それを表現するCG技術だけが見事に作られました。
その技術は本当に凄まじく、新しい時代の到来を感じさせます。
強いストーリーがないから、圧倒的な自然描写で場を繋ぎ、世界観だけで感動的に見せてくれます。
このCG描写はスクリーンで一見の価値があります。
スクリーンで観ておくべきです。
アバターと一緒で、劇場で観ないとあまり価値のない映画です。

というわけで、新監督のおかげで映画の軸はないけれど、自然描写は素晴らしいので劇場で観ておくべきです。
面白い映画は『ズートピア』と『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』が来るまで1ヶ月半待ちましょう。
ズートピアはいいぞ。

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