ネタバレ感想:映画『アーロと少年』を観た
映画『アーロと少年』(原題:The Good Dinosaur)を観ました。
ネタバレなし感想は例によってウレぴあ総研を。
【Disney/Pixar】『アーロと少年』試写レビュー ピクサーならではの最新3DCG技術&「冒険と友情の物語」は必見
自然描写には唸りました。
ピクサーここまできたか。
この映像はスクリーンで観るべきだと思います。
映像は本当にすごい
今作のすごいところは何といっても自然描写。
とにかく自然描写。
アニメーションが徹底的な写実表現を求めるべきかどうかは、『モンスターズ・ユニバーシティ』の同時上映短編『ブルー・アンブレラ』の評価が分かれるところでもあります。
「不気味の谷」を超えた
個人的には『ブルー・アンブレラ』は評価していますし、アニメーションが実写を超えるリアルを追及するのは良いと思っています。
『ブルー・アンブレラ』でも分かる通り、ピクサーが本気で本物を描こうとすればほぼ実写レベルの映像が作れることは以前から知られていました。
その前も、『ファインディング・ニモ』の制作で海のリアルな描写に成功しています。
ではなぜニモでは海をリアルに描かなかったのか、それは『ブルー・アンブレラ』の問題点でもあります。
「周りがリアルすぎるとキャラクターが浮く」
『ブルー・アンブレラ』で顔だけアニメーションなの何か変…と言われたように、あまりに周囲がリアルだとアニメーションのキャラクターが浮いてしまいます。
その点では実写アニメーション合成作品はすごいことをやっているのですが、そこが実写でなくリアルなアニメーションではいけないのが「不気味の谷」なのでしょうか。
『アーロと少年』ではそんな「不気味の谷」を遂に超えてきました。
アニメーションらしさとリアルさのバランス
アーロはアニメーションらしい恐竜で、表情も豊か。
スポットは3頭身でこれまたとてもアニメーションらしい造形。
そんな今にも物理法則無視して伸びたり縮んだりしそうなキャラクターたちが、徹底的にリアルな映像の中を走り回ります。
凄いことに、この映像に全く違和感がありません。
ついにピクサーの技術が次の段階に乗ったな、と思いました。
濁流、水に濡れたもの、冒険で汚れていく皮膚などの表現はさすがピクサー。
今の技術でもう一度メリダを撮り直してほしい…
この映像美だけでスクリーンに行く価値はあります。
以下ネタバレ
苦難を経たストーリー
『アーロと少年』の制作は遅れに遅れ、なんとか中止にならずに公開できたというもの。
原案のボブ・ピーターソン監督が途中降板し、ピーター・ソーン監督に代わるという、なんともややこしい状態を引き起こしました。
どこまで初期案が残っているのか分かりませんが、途中でストーリーが行き詰まり、ストーリーもキャラクターも丸っきりやり直しになった作品。
結局はベタなところに落ち着き、ピクサーらしい感動ストーリーに仕上がりました。
ピクサーらしい「別れ」の物語
ストーリーはなんとなくニモっぽい、家に帰る物語。
スポットと出会うタイミング、そしてスポットはパパが死んだ原因だと思われることは意外でした。
しかし最後に驚かされたのは、スポットが人間の家族の元へ行くこと。
ここら辺、予告編は上手く隠せています。
驚きのエンディングでしたが、「別れ」で成長することこそピクサーの定番です。
『トイ・ストーリー3』然り、『モンスターズ・インク』も最後は「別れ」です。
そしてビンボンも。
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大枠は友情物語、行って帰ってくる物語というピクサーの定番ストーリーですが、最後の展開までピクサーが得意なやり方でした。
ピクサーの普遍的なテーマに挑む割には、そこまで新しい角度はもたらさなかったかな、というのが全体の印象です。
良く言えば、ピクサーを知らない人でもピクサー映画の要素をとりあえず楽しめる作品でしょう。
それっぽいシーン
息子を岩の上にあげ、自らは力及ばず濁流に流され亡くなるパパ。
すごく『ライオン・キング』っぽいと思って観ていたら、牛追いのシーンで再度『ライオン・キング』のヌーっぽくなりました。
まあ父との死別といえばこれだけれどさ…
父の幻覚も見ましたね。
「少年と犬の物語の逆転」「カウボーイ要素」など、よくある物語をちょっと捻ったストーリーというのが前々から言われてきましたが、それ以外にもどこかで見た展開やシチュエーションがぽろぽろでてくるなと、観ながら考えてしまうほどでした。
一番驚いたのがスポットとの別れ、次に驚いたのがスポットと出会うタイミングでした。あとは普通。
そんなものはまだ良いのです。
問題なのが
無駄なシーンの多さ
ピクサーには珍しく無駄なシーンの多いこと。
スポットと名付けるためだけに登場する、フォレスト・ウッドブッシュ(スティラコサウルス)と鳥たち。
遊ぶだけのプレイリードック的な動物。
走り抜ける演出のための白い鳥たち。
自然描写のための雲の上にのぼって太陽見る描写。
ピクサーといえば、冒険中の出会いや発見が後に自分を助けてくれるという伏線回収が得意なはず。
『アーロと少年』ではその伏線回収が全く見られませんでした。
アーロの冒険が始まってからは、
スポットをペットにした→襲われた→Tレックスに色々教わった→また襲われたから守った→人間の元に帰した→帰郷
これだけ。
残りはただ友情を深めていくだけ。
結局、脚本が二転三転したせいで継ぎ接ぎのストーリーになってしまったのではないかと思います。
これだけキャラクター数を絞っているのに、スティラコサウルスのシーンで無駄にキャラクター数が増えるところとか謎。
成長が確認できない
冒険ものなのに最後が大問題。
アーロはきちんと成長したのかが確認できません。
臆病で家畜の鶏から逃げる日々だったアーロ。
冒険を通して、Tレックスの家族から本当の勇気を教わり、お手伝いもきちんとでき、大切なスポットを守ることができました。
しかし、家に帰ってからは一人前になった称号である足形を残しただけで終わり。
臆病を治したからでも、手伝いをしたからでもなく、死んだと思ったのに帰ってきたから認められただけ。
家畜の牛を操れるようになったのに鶏と再会すらしません。
確かにスポットは二度と食料を盗まないでしょうから、パパからの仕事を達成したわけではありますが。
アーロが恐怖を乗り越えて見た新しい世界は何だったの?
スポットと別れて大切なものを守る気持ちはどこに生かされていくの?
冒険を通して成長したのは明らかですが、それが元の暮らしに戻る様子が全く描かれず。
パパが亡くなったのは事実なわけで、元の暮らしに戻るにしてもアーロの成長を見せてほしかった。
足形に誤魔化されたな、というまま映画は終わっていきました。
ピクサーの今後の独創性が心配になってしまいましたが、絵の美しさは本物。
その点だけでも劇場で観たい作品です。