*

 - 映画  - by poohya

ネタバレ感想:『ウォルト・ディズニーの約束』(Saving Mr.Banks)を観た

ウォルト・ディズニーの約束(原題:Saving Mr.Banks)を観てきました。

いつも通りネタバレ前提の感想を続きで。

名作の制作秘話という映画として純粋に楽しめました。
ディズニーファンとしても楽しめる要素が詰まっていました。

メリー・ポピンズの原作を読んだことがなく、原作者の背景も全く知らない状態だったため、ギンティのシーンはこの後どうなっていくのか分からない状態で進んでいきます。
一方メリー・ポピンズ映画化の話は、当たり前ですが最終的に版権を認めて映画化されるわけですし、プレミアに登場することなどもある程度知っています。
予想できないストーリーが推進力となって予想できるエンディングへと向かっていく様子は非常に面白かったです。

ディズニーが好きで、ウォルト・ディズニーという人についての知識がある人なら、メリー・ポピンズというお話や背景に共感しそれを映画化していく作業をウォルトの視点から見ることができます。
胃潰瘍、パッド・パワーズ、イライアス・ディズニーなどウォルトの人生で重要な部分がメリー・ポピンズ背景への共感として登場するところは、単なる”ウォルトのこんなエピソードも知っている”というひけらかしではなく非常に良かったです。

この共感は、トラヴァース夫人にとってのメリー・ポピンズ、ウォルトにとってのミッキー(これを象徴するのがポスターというのがまた良い)
トラヴァース夫人、ウォルト、それぞれ呼ばれたい名前とお互いがそう呼ばない戦い
を作りだしています。

そして、ウォルトの最高傑作と言われる作品が誕生した背景を見ていくと、ディズニー映画の本質も見えてきます。
Saving Mr.Banksというタイトルの通り、ウォルトが彼の創造物を通してきたものの意味が示されます。

ディズニーランドのシーンや当時の姿で登場するキャラクターは映画への話題作りのためな感じがしましたが、プレミアでミッキーの手を取るトラヴァース夫人のシーンで泣いてしまいました。

残念なのは、勝手に期待していた、原作のある物語をディズニー化する難しさがメリー・ポピンズだけに収まっていたこと。
ピーター・パンやふしぎの国のアリスなど、第1次黄金期から原作のある物語の扱いに苦しんでいたウォルトはそこから解放されるためわんわん物語を作ったりしたわけです。そして彼の人生も終わりに近付いたとき、再び原作と向き合うことになったのが、娘ダイアンの愛読書から生まれたメリー・ポピンズでありくまのプーさんです。
メリー・ポピンズ以外では作者との対決にはなりませんが、メリー・ポピンズがウォルトの人生の集大成となる要因の一つとして原作に真っ向から向き合ったことが挙げられると思っています。
その部分はホテルの部屋に入ったシーンでプーを引き合いに出して少し触れられますが、そこは史実と異なっており、非常に残念でした。
この部分については別で書いています。
『ウォルト・ディズニーの約束』 「かわいそうなA.A.ミルン」の意味と真実 | 舞浜横丁

結局ディズニー史やウォルト史の映画ではないのです。
きっとメリー・ポピンズ史やトラヴァース夫人史の映画でもないと思います。
これは、ウォルトという天才的な”障害者”が過去に囚われたパメラと、世界中の観客を救う(save)という話だったと感じました。

そして、ウォルト・ディズニーが彼の集大成として創り上げた大傑作は、「ディズニー」が何のために存在するのかをウォルト自身の人生と重ねながら示してくれました。
ディズニーファン以外にも純粋な物語として楽しめ、ディズニーファンにはその本質とちょっとした歴史を見せてくれる名作だと思います。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加