ネタバレ感想:実写版『美女と野獣』(字幕版・プレミアム吹替版)を観た
実写版『美女と野獣』
字幕版、プレミアム吹替版どちらも観てきました。
以下、ネタバレありの感想です。
※ネタバレなしのレビューはこちら
【美女と野獣 実写版レビュー】全ディズニーファン必見! ディズニーの本気が魅せる“不朽の名作” – ウレぴあ総研ディズニー特集
実写らしさを加えつつアニメーション版を再現
これまでのディズニー実写化に対して、初のミュージカルとなった『美女と野獣』。
公開から25年たっても「直すところがない」作品の実写化は、完全再現にこだわっています。
他の実写化とは一線を画す『美女と野獣』の実写化は、アニメーション版の再現に努めつつ、加えた40分で実写らしさを出しています。
実写らしさとは、人物の背景描写や、コミカル描写の置き換え。
それぞれのキャラクターがより深く描かれ、それがベルと野獣に愛が生まれていく様子をじっくりと描いていきます。
じっくり描いたせいでところどころに中途半端さが出てしまっているのは、完璧な作品をリメイクすることの難しさを感じます。
全体として、実写の追加心理描写をするも、追加しすぎて消化しきれず、しきれないまま本筋がエンディングを迎えてしまった印象。
実写化ありきで最高の名作である『美女と野獣』を作ることになったという順序が見え隠れしますが、この俳優陣が演じるミュージカルで『美女と野獣』を観られるのはありがたい限り。
大スクリーンの迫力は、曲のあとで思わず拍手しそうになるほどでした。
でも絵としてはアニメーションが見事すぎて敵わないな…
アニメーション版の問題点を解消
完璧なアニメーション版ですが、大きな問題が2つあります。
魔女厳しすぎ問題:城に突然入ってきた人を10歳くらいの少年が追い返したことの罰としてあまりに厳しすぎるしそもそも理不尽
野獣が人間に戻っていいのか問題:人は見た目ではないというメッセージを否定しかねない結末
実写版ではこれの解決が見られます。
魔女厳しすぎ問題
傲慢な王子の姿を見せることで、理不尽さを解消。
さらに、魔女=アガットという関係が示されていきます。
アガットは物乞いとして村で暮らすことで、野獣が受けた罰に囚われています。
フクロウでの暗示など、直接の説明はないままで魔女=アガットは示され、最後の呪いを解く存在となります。
人の心は見かけによらないという『美女と野獣』の大事なメッセージを体現すると共に、観客もそれに気付く経験が得られます。
代わりに、バラの花びらが落ちるごとに城が崩壊しみんな物に近付いて動けなくなっていくという、非常に厳しいルールが追加されました。
周りから忘れられたのに愛し愛されるのは難しすぎる…
野獣が人間に戻っていいのか問題
アガットが魔法を解くことで、バラが散った後にベルが愛を述べた微妙なルール違いが避けられました。
そして、実写版では「人の心は見かけによらない」というメッセージをアガットが引き受ける一方、ベルと野獣の背景描写を多くすることで、野獣側では「人の心は見かけによらない」が全てではなくなっています。
家族の存在
実写版での最大の追加点は、ベルと野獣の親の存在です。
ベルが西の塔を訪れ、野獣の肖像画を見るとき、実写版では親子が描かれていることが強調されています。
野獣も一人の人間であったことが強調されることに加え、傲慢な王子になった理由が、母親が死んだからだと後にポット夫人から明かされます。
一方のベルは母親を失い、パリから田舎村へと越してきており、この理由はモーリスが語りたがらない謎として提示されます。
共に母親を失って人生が変わり、小さな世界での生活を余儀なくされているベルと野獣。
新曲How Does A Moment Last Foreverが親子関係のテーマ曲として、あちこちに挿入されていきます。
では、それは必要なのか。
野獣は自ら親との関係を語ることはありません。
親との関係を何か克服するわけでもありません。
パリに行くシーンも、ベルの中での謎が解けるだけで、モーリスとの関係が変わるわけでもない。
そのために魔法を1つ加える必要があるのか。
ベル
ベルは村で変人として扱われています。
その理由は、頭の中がファンタジーな外の世界を夢見る女の子から、考えが先進的でずれていることの強調に移っています。
モーリスもおかしな発明家ではなく、まともな考えを持ち、この村で暮らす理由を隠しています。
外の世界に出たい、自由が欲しいと願うベル。
ベルとモーリスの親子の対比には、「逃げていては何かを掴むことはできない」というメッセージがあります。
逃げずに自由を追い求めるベルは、自由なしで幸せと言えるのかと問います。
舞踏会のあとですから、作品の中でも非常に重要な部分です。
ベルはなぜ野獣の元に戻ったのか、夜襲から救うためだから当然ですが、なぜ自由を捨てる覚悟ができたのか。
囚われの身として自由を失い、愛を学んだ野獣に解放されて自由を得て、それでも再び帰ってくる。
王子を愛することは、自由を失うことです。
見かけで判断しない心の目を持ち、野獣への思いを変え、母親の謎解きをして、ベルの描写が多いわりには最後をサクッとアニメーション通りに流してしまった印象。
やっぱり実写追加部分が余計だと感じてしまいます。
野獣
魔法にかかる前の傲慢さが追加された野獣。
その一方で、アニメーション版にはない教養があり、シェイクスピアも読みます。
舞踏会でルミエールとコグスワースを見て笑顔を見せるような可愛らしさはなくなり、大人として描かれています。
野獣なのに可愛らしさを出せるのはアニメーションの強みでした。
実写版では教養があり、かなりはっきりとベルへの愛を自覚し、告白しています。
ここでも「逃げていては何かを掴むことはできない」というメッセージを伝えています。
代わりにEvermoreが入っていますが、野獣の葛藤は舞台版の「愛せぬならば」の方が好き。
家具の説得力
家具をキャラクターにするという、アニメーションらしさが際立つ部分。
実写ではCG技術によって豪華俳優陣が演じています。
アニメーションの豊かな表情や動き、可愛らしさは薄れてしまっていますが、代わりに本物の説得力が出ました。
動かないシーンではセットに燭台や時計を置いているだけなので、本当にただの家具。
王子の傲慢さとそれを止められなかった召使いたちが描かれたことで、彼らは悲しい罰の側面が強調されていきます。
Human AgainではなくDays in the Sunになっているのも、陽気に願う立場ではないから。少しずつ動けなくなっていく悲壮感が常に彼らの背景に流れています。
バラの最後の一片が落ち、完全に家具になってしまった召使いたち。
どうせ1分くらいすれば人間に戻ることは分かっているのに、こんなに悲しいシーンになるとは。
実写の説得力の強さを感じました。
ガストンとルフウ
ガストンの見た目の説得力がすごい。
野獣との決闘でも、確かに遠方から撃ち殺そうとする方がガストンらしい卑劣さが出ます。
一方で、村の人々もガストンを本当に尊敬しているわけでもなく。
強いぞ、ガストンでルフウはコインを払い、モーリスを森で置き去りにした時は疑いの眼差しを向けます。
それでも夜襲の歌で煽動されていく村人たちの感情が際立つ一方で、ルフウが疑問を持つ様子が対比されていきます。
ルフウは寝返る必要があったのかはよくわかりません。
そして、ルフウの同性愛問題。
正直どこが同性愛なのか分かりません。どこに4分半もあるのか。
村の多様性として入れたらしいですが、ベルの変わり者さ、女に識字能力はいらないと虐げられる部分を強調させるためには村人は保守的でなければなりません。
旧時代的価値観で暮らす人々に対し、ベルの先進的な考え方が対比されるのであり、それはモーリスがベルの母について同じことを語っています。
親子関係が大きな意味をもつ実写版において、ベルと母親の繋がりを示すもっとも大事な部分です。
これを薄れさせてしまう、中途半端な多様性は邪魔なだけです。
逃げていては何かを掴むことはできない
実写描写で入れられたテーマ「逃げていては何かを掴むことはできない」。
モーリスは逃げて村に来ました。
野獣は野獣の姿になり、世間から逃げ、自分からも逃げて来ました。
召使いたちは王子の傲慢になっていく様子から逃げていました。
逃げながら生きている時間は、止まっているかのように何も起こりません。
アニメーション版では魔法がかかって10年でしたが、実写版では明言されません。
その時の長さがモーリスのHow Does A Moment Last Foreverや召使いたちの悲しい運命を際立たせています。
彼らと対になるのはベル、そしてガストン。
ベルは未知を追い求めていき、ガストンも何か物足りないものを変えようとしています。
ベルは突き進み続け、その姿が周りを変えていき、ついに魔法を解きます。
ガストンは何もしない村人たちを煽動し、夜襲へと達します。
ここにベルとガストンの姿勢の違い、『美女と野獣』における善と悪が生まれます。
強く明るい心が周りの心を変えていく、ベルの姿こそディズニープリンセスらしい姿であり、それと対となるガストンこそヴィランズらしい姿です。
実写描写はここの一点突破、あと王子の傲慢さと家具の悲しさを出すだけで良かったのに、他の要素まで詰め込みすぎたかな…
プレミアム吹替版
本気の吹替陣で、それはもう歌声に文句なし。
まさにミュージカルをそのまま観ている贅沢な鑑賞です。
しかし、なぜ歌詞を変えてしまったのか。
原語がそのままなんだからそのままで良かったのに。
エマ・ワトソンの歌声は、ベルの声として上書き保存されてしまいそうなほど。
だからこそ、親しんできた『美女と野獣』をそのままに出して欲しかったです。
やっぱり美女と野獣は最高
最終的には、アニメーション版の良い部分と実写版の良い部分だけを取り上げて、やっぱり『美女と野獣』は名作中の名作だという印象が残るので、最高です。
実写版の世界観もまたパークに置いて欲しいと思うほど好き。
新曲も、なんだかんだHow Does A Moment Last Foreverが脳内リピート再生されるほど、予想外に好きになりました。
こんな素晴らしいミュージカルを観られる時代にいる幸せを感じました。
『リトル・マーメイド』は実写化しても表現が難しそうだし、これが完全実写化の頂点になるんだろうな。
あまりに好きな作品が完全実写化されると良いけれどあそこ何とかして欲しいけれど良いけれど美女と野獣最高ってめちゃくちゃな感情になることがわかりました。
とにかく、実写でここまで『美女と野獣』にできるのは『美女と野獣』を愛する人々による本気を感じました。
最高。
【美女と野獣】実写とアニメーションの違いは? なぜここを変えたのか? ビル・コンドン監督インタビュー – ウレぴあ総研ディズニー特集