- くまのプーさん - by poohya
クマのウィニーの頭蓋骨、初の一般公開
The skull of the bear that inspired Winnie-the-Pooh is now on display https://t.co/IAxKlZ1yvs pic.twitter.com/cMVQ1a2UN2
— CNET (@CNET) 2015, 11月 20
プーさん:モデルのクマ頭蓋骨、英で初展示 虫歯が悩み? – 毎日新聞
Winnie-the-Pooh’s Skull: Relic of Inspirational Bear Goes on Display – The New York Times
クマのウィニーの頭蓋骨が英王立外科医師会の博物館ではじめて一般公開されています。
1934年の死後、80年以上にわたって標本として保管されていたそうです。
頭蓋骨は歯の大部分を失っており、高齢、甘いものの食べ過ぎが原因として考えられています。
クマのウィニーとは
クマのウィニーは「クマのプーさん(Winnie the Pooh)」の名前の元となった熊です。
当時、ロンドン動物園で非常に人気を博した熊でした。
クリストファー・ミルンと父A.A.ミルン(プーの原作者)もロンドン動物園を訪れるたびにウィニーに面会し、彼女の名前を自らのテディベアにつけました。
歯を失った原因
研究によると、ウィニーの歯の大部分は生きているうちに失われていたそうです。
原因は高齢、甘いものの食べ過ぎと報告されています。
ウィニーが生まれたのは1914年。
寿命は20歳。老衰による安楽死です。
ウィニーは非常に人懐っこく、来園者から甘いものを与えられていたのが主な原因と考えられるでしょう。
1931年には「歯は欠けていたものの、毛並みは美しいままであばら骨は見えない」と評されています。
死ぬ3年前の時点で歯が欠けていることがわかります。
ウィニーがそれほどの人気を得るのは、彼女の特殊な生い立ちがあります。
ウィニーが動物園に来るまで
ウィニーは野生で生まれました。
カナダのウィニペグに住む獣医将校ハリー・コールボーンが第一次世界大戦に従軍するための移動中に母を殺されたウィニーと出会い、猟師から購入。旅団とともにイギリスへと連れて行きました。
ハリーはフランスに赴くことになり、ウィニーをロンドン動物園に預けました。
プーのような食生活
生後7ヶ月で獣医に引き取られ、人間たちの中で軍のマスコット的に可愛がられてきたウィニーは、人懐っこく、絶対に人に危害を加えることはありませんでした。
その人気は、大人までもがウィニー専用カクテルを与えたほどといいます。
ウィニー専用カクテルとは、コンデンスミルクとはちみつを1:1で割った1クォート(約1.14L)缶のこと。
ウィニーは両方の前足で缶を抱え込んで食べましたが、その最中に子どもが缶を奪ってもウィニーはそれをただ受け入れたそうです。それほどまでにウィニーはおとなしかったのです。
クリストファー・ミルンもコンデンスミルクを持参し、ウィニーに直接与えていました。
まさに、プーのような食生活を送っていたウィニーですから、歯や体にも悪かったことでしょう。
病気に苦しんだ晩年
前述のとおり、1931年にはウィニーは歯が欠けていました。
またこの頃にはウィニーの健康状態は悪化しており、彼女の一般公開は取りやめられました。
両目に白内障、骨関節症を患い、翌年には発作による半身不随にもなりました。
それでも特別な面会者の訪問は受け付け、食事もとっていたそうです。
そして1934年、安楽死によってこの世を去ります。
第一次世界大戦の時代、歯を失いながらもロンドンっ子に希望を与え続けた熊は生誕100年を迎えた今、再び注目を集めています。
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2014年のウィニー100周年の話題。
ウィニーがロンドン動物園にいた時代の映像もあります。
最近「finding Winnie」という絵本の出版に合わせ、「プーさんは実は女の子だった」という記事が海外大手メディアに散見されますが、ウィニーが雌熊だったというだけの話です。
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参考文献
「世界で一番有名なクマ ウィニーの物語」
ハリー・コールボーンとウィニーの人生を丁寧にたどった一冊。
補足知識も豊富で、クマのウィニーについて深く知ることができます。