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映画「くまのプーさん」感想・・・「ウォルト・ディズニー」制作を目指して

「ウォルト・ディズニー生誕110周年記念作品」であるプー新作、制作陣のウォルトへの愛を感じる作品でした。
ティガー・ムービーやピグレット・ムービーに代表される今までのプー長編は、原作(ミルン)への愛を感じることが多かったです。
しかし今作ではいつにも増してウォルトへの愛を感じました。
今から50年前、ウォルトはプーの映画化権を獲得、製作に着手しました。
イギリス児童文学といえば、過去に不思議の国のアリスやピーター・パンを作り、メリー・ポピンズも製作中でしたが、アニメーションらしいキャラクターを創造しつつ原作側にも配慮するという難しい作業を迫られていました。
プーはそれ以上に原作殺しといわれていますが、プーはこれらイギリス児童文学のディズニー化とは逆だったのです。
ウォルトはプーを原作そのまま世界に紹介することに意義があると考えていました。
しかし当時のアメリカでのプーの知名度は非常に低いものでした。
その結果、キャラクターなど原作プーはそのままアニメーション化したいが、このままではアメリカ人に受け入れられないという問題が起こったのです。
結局「積み上げ方式」という3短編に分ける方法を採用し、さらにゴーファーの登場など”アメリカ化”を行いました。
ある意味「妥協」とも言えるかもしれません。以後、ディズニープーは原作(イギリス)とカートゥーン(アメリカ)のバランスを時代に合わせて調整していくことが肝となっていきました。
ウォルトの死後、彼の予言通りプーはディズニーを代表する人気者になりました。
世界の誰もがプーを知っている世の中になり、”アメリカ化”を維持する必要はなくなっていきました。

さて、今回のプー新作は「原点回帰」を掲げ、まさにウォルトの時代へ戻ろうという意思を持った作品です。
アニメーターたちも自分たちの師匠がつくったキャラクターを自らの手で再びつくるという作業でした。
しかし、ウォルトの作りたかったプーを作るということは、ウォルトが手がけた唯一のプー「完全保存版」を再現することとは違います。
理由は先程の通り、「妥協」をそのまま再現してもそれは意味がありません。
ウォルトの愛があるからこそ、ウォルトが叶えたかった夢、本当のプーを原作らしくつくる、「完全保存版」の”アメリカ化”を原作寄りに戻すことができたのです。

「完全保存版」でウォルトが用いた原作すなわち「本」の効果は、近作でもナレーター,文字などに現れています。
そして同じプーの蜂蜜妄想シーンである「はちみつがいっぱい」は「ズオウとヒイタチ」の逆とも言えますし、「プーさんとティガー」のティガーが木から下りる方法は今作の穴から脱出する方法の逆さになっています。
このように、「完全保存版」はしっかりと再現しつつ、その中の”アメリカ化”を元に戻して作られたのが今作です。
だからこそ昔のプーの再現ではなく、徹底的にくまのプーさんの世界を描いた作品と評されるのです。
それは、ウォルトが今「くまのプーさん」を制作したらこの作品になった、と言えるような非常に志の高い取り組みです。
くまのプーさんを観て育ち、そのクリエイターを師匠とするプー ファンたちが結集し、ウォルトの愛の元に作った作品、それが2011年の「くまのプーさん」です。

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