*

 - くまのプーさん  - by poohya

「プー横丁にたった家」と石井桃子との出会い 文藝春秋社「文筆婦人会」のエピソード

『クマのプーさん』との出会いは女子限定の社内編プロで。石井桃子が女にだらしない菊池寛に優しかった理由
文藝春秋「CREA」が、石井桃子がプーと出会った当時のエピソードを紹介しています。

石井桃子は1933年のクリスマスイヴに、犬養毅宅で蔵書の整理をしていたところ、当時子供だった道子(犬養毅の孫)にせがまれ、蔵書にあった「プー横丁にたった家」の原語版をその場で訳しながら読み聞かせていきました。
このことがきっかけで、後に「クマのプーさん」「プー横丁にたった家」の日本語版を出版することになります。

石井桃子は、1928年に日本女子大学を卒業。在学中から手伝いをしていた菊池寛の伝手で、彼が創業し社長を務めていた文藝春秋社に入社します。1933年に退社しているので、「プー横丁にたった家」に出会ったクリスマス・イヴにはもう退社していたものと考えられます。
道子の親、犬養健と家族ぐるみの付き合いをしていた石井桃子がクリスマスイヴにも訪れたというのがよく語られているエピソードですが、さらにその背景を、門井慶喜さんが菊池寛の人物像を通じて明かしています。

菊池は「文筆婦人会」を社内に設立しており、そこに犬養家が蔵書の整理を依頼し、石井が出入りするようになりました。
「文筆婦人会」は、菊池が1929年に発足した”女性たちによる編集プロダクションのようなもの”。「口述筆記、編集校正、タイプライティング、翻訳、原書代読、パンフレット等の編集」といった業務を担っていました。
女性の社会進出が進んでおらず知的業務に就くことがまずなかった時代に、時代を先取りした組織でした。

“当時の「文藝春秋」の広告文にはこう書かれていますね。
「私達は、女性と云うハンディキャップなしに充分働くつもりです。私達の過半は女子の最高教育を受けて居りますので、思操能力の点で充分皆さまの期待に副(そ)うことが出来ると思います。どうか、どんな仕事でも結構ですから、御用命をねがいます」”

このような時代の中で、女学校を出て英語にも明るい石井が犬養家に派遣されたのでした。
“日本の出版史に多大な影響を与えたことは間違いありません”という文筆婦人会に所属した石井は、自身も「クマのプーさん」翻訳だけでなく、岩波少年文庫の立ち上げ、現在の東京子ども図書館の設立など、日本の文学界に大きな歴史を残しました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加