- くまのプーさん - by poohya
クリストファー・ロビン・ミルン生誕100周年 「僕が100歳になっても」の日を迎える
クリストファー・ロビン・ミルンは1920年8月21日にロンドンで生まれました。
今日で生誕100周年です。
クリストファーは1歳の誕生日プレゼントとしてテディベアをもらい、後にウィニー・ザ・プーと名付けました。
「クマのプーさん」の物語と実際のクリストファー・ミルンの生活は一部で重なっており、100エーカーの森はミルン家の別荘があった周りの森であり、クリストファー・ロビンとプーの年齢差が1歳なのもプーが1歳の誕生日プレゼントとして生まれたことを連想させます。
「プー横丁にたった家」の最終章の最後に、クリストファー・ロビンとプーはこんな会話をしています。
「プー、僕のこと忘れないって約束して。僕が100歳になっても。」
プーは少し考えました。
「そうすると僕は何歳?」
「99歳」
クリストファー・ロビンが100歳になり、プーが99歳になり、約束の日がやってきました。
「100エーカーの森」が実際には500エーカーの森であったように、「100」は非常に大きいという概念に過ぎません。
それと同時に、クリストファー・ロビンが100歳になってもこの物語が愛され続けていることは、ミルン親子が想像もしていなかったことであるでしょう。
最終章でプーの物語を完結させた後、クリストファー・ミルンが大人になると、ミルン親子はそれぞれにプーとクリストファー・ロビンという存在から逃れられない人生を送ることになります。
父アランは後にどんな作品を書いても「クリストファー・ロビンが大人になっただけ」と評され、子ども向け作家のレッテルが貼られたまま。
クリストファーはクリストファー・ロビンとしての世間の目に耐えかねられず、親の七光りとの誤解も受けながら父を越えられない境遇に恨みを抱きます。
2人とも自伝を書くことで自分自身を整理し、呪縛から解放されようとしました。
プーの物語は、クリストファーの幼少期の何気ない遊びから生まれました。
それは父アランが自分の少年時代の思い出も重ね合わせながら描いた物語でもあります。
「僕のこと忘れないって約束して。僕が100歳になっても」という台詞は、少年時代の思い出がいつまでも輝き続けることを語ると同時に、忘れたくても忘れられない呪縛となって親子の一生にもたれかかることになるとは想像もしていないことを表しているかのようです。
著者の想像を遥かに超え、クリストファーが100歳になってもプーは愛され続けています。
プーというクマだけでなく、いまだに『クリストファー・ロビン』というタイトルの映画(邦題は『プーと大人になった僕』)が作られるほど、クリストファー・ロビンのことも全く忘れられていません。
クリストファー生誕100周年を迎え、彼の人生と「僕が100歳になっても」の言葉を考えると、彼が「100歳」になったことでクリストファー・ロビンとクリストファー・ミルンが切り離されたように思えます。
プーもクリストファー・ロビンも、さらに100年たっても200年たっても愛され続けることでしょう。
100エーカーの森でのできごとと実際のミルン親子のできごと絶妙に重なりあっていますが、その重なりの揺らぎこそプーの醍醐味であり、クリストファーが生誕100周年を迎えた今、そこに新たな揺らぎが加わったと思います。
それはミルン親子がプーの物語と向き合わざるを得なかった人生の深みが加わったとも言えるでしょう。