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 - 映画 ,  - by poohya

ネタバレ感想:『ベイマックス』を観た

東京国際映画祭オープニング作品、ディズニー長編アニメーション第54作『ベイマックス』(原題:Big Hero 6)観てきました。

非常に良い映画でした。
ここから公開まで2ヶ月待ちきれません。

ネタバレ込みでの感想を続きに。
ネタバレなしはこちらに書きました。
『ベイマックス』は“日本愛あふれる”ヒーロー映画! 見どころ徹底紹介 – D*MANIA

マーベル作品をここまでディズニーにできるのか。
ヒーロー映画でありながら、しっかりとディズニーらしい“ヒロとベイマックスの友情物語”に仕上げていました。
米国のヒーロー一色プロモーションも日本の友情一色プロモーションもちょっと的外れ。プロモーションでは表現できないような、マーベルとディズニーの大きな融合が見られたと思います。

オープニングはコミコントレイラーのロボットファイト。
予告編では本編の展開を見せないように上手く作られていましたね。
主人公の幼い頃や過去を見せずに始まる映画は久しぶりな気がします(除プー)。
ヒロが大学を訪れるまでで主要キャラクターを一気に紹介していきます。
ここはディズニーの上手いところ。
度々登場する「別の視点で見ろ」を含め、細かな伏線もしっかりと。
自分たちを科学オタク(ナード)と称しながらも科学最高と叫ぶ彼らが大好きです。
ヒロがマイクロボットのコントローラーを置いたまま会場を去るのは明らかに怪しいものでした。

悪役は謎解き要素がありましたが、『シュガーラッシュ』や『アナと雪の女王』のようにあまりためることはしませんでした。
教授は復讐のためにヒロの発明を盗んだ悪人ですが、一応火事の中で教授は自分の身を守ったわけでタダシが助けに来たことは知らないはず。ヒロがいう「タダシを見殺しにした」とは言えません。
マイクロボットを盗むために自ら火を放ったなら、結果的にタダシの死を招いたことにはなりますが、そもそもヒロが入りたい大学の先生なわけでマイクロボットの技術を正しい手段で知ることは可能で、それをこっそり複製しても良いはず。

ベイマックスはロボット独特の空気の読めなさ、マニュアル通りにしか動けないというのが魅力。
理系らしく論理的なヒロや大学メンバーと、それを外すフレッド、そして一番固いベイマックスと、会話がうざくならない良いバランスになっていました。
タダシはここにいると言うベイマックスと、心の中にいるようなものは信じないというヒロ、そして(データとして)ここにいると示すベイマックスという、いわゆるハートのある幻想と14歳らしい否定と理論で上回るベイマックスの姿。そしてそれを大きく包み込むのは大学メンバーでした。
大学メンバーはタダシの仲間で、ヒロを弟のように扱うというのも良い点でした。
ベイマックスは相棒、兄の代わりは大学メンバー。
ここが友情とヒーローを両立させる要だったと思います。
ヒロ暴走後のゴーゴーが良すぎる。

ヒーローチームとしては、それぞれ特徴を持ち「別の視点で見ろ」というキーワードもあった割には中途半端な戦いだった印象。
そもそも敵はヒロが作ったマイクロボットなのに、ヒロが用意する武器が対マイクロボットとしてはあまり使えないものばかりだったのも残念。ワサビの武器はマイクロボット最大の魅力の前で何の意味もなしませんし、フレッドの火も教授が火事を逃げ延びた通り役に立ちません(ヒロは火事で全焼したと思っていましたしマイクロボットの耐火性を考えていなかった?)
それぞれが自分の得意分野で戦い、全体で強くなるという王道ではありませんでした(個人的にはこのスタイルに飽きはじめていますがこれを外しても良い代案が無い状況です)。
僕はマーベルである殴り合いなどがあまり得意ではないのですが、その点はディズニー化して見やすくなっていました。
最終的に敵を力で倒すというよりも、悪になった原因を“ケア”した点は良かったです。

そしてディズニー的異次元風景。
ヒーローがこんな空間に突入するとは。
最後に「ケアに満足した」というセリフがこのように効いてくるとは思いませんでした。
ここで再度、どんな時も一緒にいる、という言葉がヒロにのしかかります。
「ケアに満足した」をヒロ自らの口で言わせるのがにくい。

そして映画一番の疑問点、ベイマックスはどのタイミングでカードを抜いたのか。
ケア用カードが無ければベイマックスをシャットダウンするセリフは意味をなさないはずです。
ヒロがあっさりベイマックスを作り直してしまうのも…WALL-Eの逆で体だけ作り直す状況ですが、WALL-Eよりは良いということで収まっています。
メモリカードが残っているから体さえ作れば全て元通りになることが奇跡という捉え方ではなく、ヒロも当たり前のように受け止めているのもこのシーンを許せるポイントでした。
最後は新たな敵と戦う様子にしてほしかったです。サンフランソウキョウはYokai以降戦う相手いなさそう。

“ディズニーらしい”幻想や奇跡を排除する科学オタクの感覚が非常に心地よいものでした。
この感覚こそがマーベル作品をはじめとするヒーローの血が入ったおかげだと思います。
トラディショナルな中にモダンさを取り入れた、ラセターが語った日本文化の特徴が作品を通して反映されていました。

そして最後のあれ。
過去最高のクレジット後シーンでした。
クレジット後シーンではディズニーが受け狙いで作品を台無しにし続けている一方、マーベルはある程度の安定感があります。
ここではしっかりマーベル側に振り、すっかり忘れていたお約束をしっかりと入れ込み、再クレジットでしっかりネタを説明。
フレッドが大富豪という設定もこれで全て許せます。ところで暴走したヒロに置いて行かれたメンバーが執事のヘリで帰ったなど、細かい部分で疑問を回収しているのは良かったです。
東京国際映画祭のスクリーン2では父の絵が出た時点で大きな笑い声、姿を見せたときには拍手が沸き起こるほど、ネタが通じていました。
映画の最後でここまで自然に拍手があったのははじめてでした。

全部最後に持っていかれた感は否めませんが、全体としても非常に満足度の高い作品でした。
もうちょっと曲でがつんとはまるかと思っていましたがそこが無かったのは残念。
そのせいかカルト性もあまりなさそう。
しかしもう一回はしっかり観ておきたい、名作としてかたい作品になったと思います。

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